【物語】救世主は走る。
「あの、これ落としましたよ、、、」
気が弱そうなビジネススーツを着た男性が、私を拾った。私の持ち主が、私をバッグから落としたことも気づかず通り過ぎてしまったからだ。
人通りの多い駅のど真ん中。落とし物を拾ったビジネスマンの声は、行き交うバスや電車の音でかき消された。ビジネスマンは私を持ったまま、私の持ち主である茶色のコートを着た女性を追いかけた。
私は、淡いピンクの長財布。
革で出来たそこそこお高い、あまりにも職人が気合いを入れて作ったので付喪神になった、長財布である。
私の持ち主たる女性が、就職祝いに両親から送られたプレゼント。小銭を入れるチャックの持ち手には、名前が彫られたオシャレなチャームがある。
私の中には、持ち主が先程銀行でおろしてきたばかりのお金とクレジットカードが入っている。
そんな大切な私を置いていくなんて、持ち主はなんとうっかりなのだろう。
私を拾った男性が、不審がられないようにそおっと女性に近づいている。正直、その様子の方が怪しいと私は思うが。まぁ、持ち主に返してくれるなら問題ない。
そう思って私はのんびりとしていた。
すると、急にビジネスマンが走り出した。何事かと思って前方を見た。
そこには、我が家に帰宅しようとバスに乗り込む持ち主の姿があった。
え?私いないけど、バス乗って大丈夫?
そんな私の心の声も届かず、持ち主はバスに乗ってしまった。
しまった!
ビジネスマンが急いでバスに駆け寄る。
ビジネスマン、頑張ってくれ!
私は、先程までとはうってかわって男性を急かした。付喪神なりたての私は動くことも出来ないので、心の中で祈ることしか出来ないのだが。
県庁所在地があるこの市の駅前はとてつもなく混んでいる。秋のバスロータリーには、多くの人が集まっていて、ビジネスマンが一生懸命進もうとしても、「割り込みは許さない!」と言わんばかりの市民に押されて進めない。
「すみません、忘れ物を、、、あ!!」
最悪の事態が発生した。
ビジネスマンを嘲笑うかのように、「プシャー」という音を立ててバスのドアが閉まったのだ。そして、ゆっくりとバスが出発した。
私とビジネスマンは、私たちの前を通り過ぎるバスを見送るしかなかった。
ああ、これで持ち主ともおさらば。
忘れ物として届けられた私は、持ち主不明のまま焼却炉に入れられるんだ、、、
私の中で、絶望の音がした。
ビジネスマンが着ているスーツが、秋風に揺れる。
秋風さえ私たちを嗤っているようだ。
その時だった。
「おじさん、どうしたん?具合悪いワケ??駅員呼ぶよぉー?」
私とビジネスマンは、顔を上げる。
そこには、ミニスカートに明るい茶髪、 メイクばっちり、デコデコネイルの女子高校生ギャルがいた。彼女の周りには、彼女の友人であろう同じくミニスカートのギャルたちがいた。
「あ、いや。ありがとう。具合が悪い訳じゃないんだ。財布を拾ったんだけど、落とし主がバスに乗ってしまって、どうしようかと思っていて、、、」
ビジネスマンが、しどろもどろに答える。
「えー?マジ?それやばいんですけど~。」
そう言うと、茶髪のギャルはスクールバッグから学校指定らしき運動靴とスマホを取り出した。
そして、人通りが多い駅前のバスロータリーで、オシャレな厚底ブーツから運動靴に履き替え始めた。靴を履きながら、ギャルは私たちに鋭い口調で聞いた。
「どのバス?」
まさか、、、
「あの、青いラインが入っている白いバス、、、」
ビジネスマンが指さす方向には、駅から出て大通りへ向かうバスがあった。
「OK。商店街回りのやつね。ゆいゆい〜。うちの荷物、カラオケに持ってってくんない??」
「いいよぉ。いつもんとこで待ってるわー。」
茶髪のギャルは、ビジネスマンに手を差し出した。ビジネスマンは、私をギャルに差し出した。
私を受け取った瞬間、ギャルは秋風になった。
ギャル、速っ!!
クルクルしている長い茶髪を靡かせて、歩行者の邪魔にならないように歩道の端を一心に走る、ギャル。美しいフォームで息を乱すことなく走っていく。
これなら間に合うかも!!
私は力強く私を握るギャルの指の隙間から、バスを見ようとした。すると、走るギャルの目の前に、歩道にたむろする男性の集団が見えた。
くっ、ここでこんな障害が!!
ギャルが減速している間に、バスがどんどん進んでしまう!私がはらはらしていると、凛としたギャルの声が大通りに響いた。
「お兄さん、そこどいて!!忘れ物届けてんの!!」
若者たちが一斉に振り向く。
落ち葉が舞う秋の駅前大通り。
その歩道を一心不乱に走るギャル。
状況が分からない、という顔を浮かべながらも若者たちは道を譲った。
ギャル、強し。
「マジ感謝するわ!」
ギャルは通り過ぎる前に、若者たちにお礼を言った。ギャルはどんどん加速して、バスを追いかけて行った。
このギャル、なかなか礼儀がいいな。
バスが左に曲がった。
商店街へ向かっている。
商店街は信号も多い。
ここなら追いつけるかも!
私がそう思ったその時だった。
バスの後を追って左に曲がったギャルの足を、落ち葉が掬った。
───突然、青空に投げ飛ばされる私。
───下に見える、尻もちをついたギャル。
───遠くで、商店街を進むバス。
ここまで、か。
ギャル、あなたには感謝している。
私はもう処分品になるだろう。
だが、あなたのことは忘れない。
そう思いながら、落ち葉とともに地面に落下した私を、、、
コンクリートすれすれで、ギャルはキャッチした。
私は驚いてギャルを見る。
膝を擦りむいて痛そうだ。
それに、尻もちをついた時に手を付いたのだろう。綺麗にデコレーションされていたピカピカのネイルは剥がれ、手のひらには血が滲んでいた。
それでも、力強く私を握りしめたギャルは、涙が浮かぶ瞳で商店街を睨み、走り出した。
商店街を疾走する血だらけのギャルに、買い物袋を持った人々が道を譲る。
「あんた、大丈夫かいっ??」
長ネギがビョンと飛び出しているエコバックを持ったおばさんが、走ってくるギャルに声をかける。
「大丈夫!あんがと!!」
気遣う人々に返事をしつつ、ギャルは商店街を突っ走る。手に財布を持って駆けるギャルに、人々が声をかける。ギャルはその声に応じて、「ありがと!」と短く返事をしつつ、声だけを置き去りにして走り抜ける。
一歩進む度に傷が痛むだろう。
それでもひたむきに走る。
私を持ち主に届けるために。
ギャルは、汗が滲む額を血がついた手で拭った。
額に朱色の一線が描かれた。
それは、
彼女のまつ毛を飾るマスカラよりも、
目の周りを縁取るラメよりも、
彼女を美しく煌めかせた。
ありがとう。
こんなに大事にしてくれて、ありがとう。
こうやって大事にしてもらえるから、私たちは命が宿るんだ。
凛々しく、美しく走るギャル───いや、私の救世主に、思わず私は祈りを送った。
この人に、幸せが訪れますように。
それは小さな祈りだった。
なんの力も持たない長財布の、本気の願いだった。
その祈りの一部が届いたのだろうか。
大通りを進んでいたバスが、歩道に寄って、減速し始めた。
「いや、お嬢様にはマジ感謝〜。財布届けただけなのに、うちらの部活に寄付とかしてくれて、マジありがと!」
包帯ぐるぐるの足でも、ミニスカートは譲れないらしいギャルが、高級そうな黒いソファーに座ってカフェラテを飲んでいた
私置き去り事件から早2日。
私は持ち主のカバンから、そっと彼女を覗いて、元気そうな様子にホッとした。
あの後、ギャルがバス追いかけてると気づいた近くの小学生が、バスを止めて置いてくれたのだ。
小学生が止めておいてくれたバスに走ってきたギャルが、乗客に「これ落としたミサキって人いない?」と乗客に聞いた。財布のチャームに名前がついていたことを、ギャルは見逃さなかったのだ。
私の持ち主(おバカ!)が慌てて手を挙げ、ギャルに近づく。そしてギャルが血だらけであることを知った持ち主(うっかりもの!)は、バスから降りてギャルの手当をした。
商店街にいた人々が近くのドラッグストアでキズぐすりと包帯を買ってきてくれた。持ち主(不器用。)は応急手当をし、更にタクシーを呼んで病院に連れていった。
「え?まじみんな親切じゃね?こんなん、唾つけとけば治るっしょ〜。」
と言いながら、ギャルはタクシーに乗る。
タクシーは、たくさんの拍手に包まれて病院に向かった。私の持ち主(大事なところで抜ける。)は、ギャルと共に病院へ行き、その診察代とタクシー代を支払った。
翌日、私の持ち主(社長令嬢)は、ギャルの制服から地元の高校生だと見抜き、学校に行ってお礼を言いに行った。その時、彼女の部活が吹奏楽部だと聞くと、部活に寄付をした。
それを聞いたギャルは、さらにお礼が言いたいと言って、持ち主(実は会社の跡取り)の両親が経営する会社を訪れた。
ふかふかのピカピカ真っ黒なソファーに、茶髪のギャル(ノーメイクだけど可愛い)が、カフェラテを手に持ち主(カフェラテ用のはちみつも出せ!)と楽しげに話をしている。
カフェラテを見て、「はちみつ持ってきますね!」と持ち主(早く持ってこい!)が席を立つ。
木枯らしがとんとん、と窓ガラスを叩いた。
秋の日差しは、私の救世主を黄金色に染め上げる。彼女の茶色い髪と相まって、ギャルは神々しく見える。
決して届かないけれど、私はこのギャルの幸せを願う。そして、「人類まじ尊い。」と思っていた。
その時ふと、ギャルが独り言を言った。
「あの財布、まじ可愛かったわ~。」
私は胸を撃ち抜かれた。