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【物語】運命が振り向く声

ざぁぁぁぁぁぁぁぁぁざぁぁぁぁぁざぁぁぁぁぁぁぁざぁざぁぁざぁぁぁ
土砂降りの中を走る。

ざぁぁざぁぁぁぁざぁぁぁぁぁぁぁぁぁざぁぁぁぁぁざぁぁぁぁぁぁぁざぁ
前を走る男の背中が、激しい雨のせいで霞む。

この男をここで逃すわけにはいかない。
俺は、右に左に動きながら走るビジネススーツの男を睨む。


逃がさない。
この詐欺師さぎしを。


ざぁぁぁぁぁぁざぁぁぁざぁぁぁぁぁぁぁぁぁざぁぁぁぁぁざぁぁぁぁぁぁ
はぁ、はぁ、はっ

整備されていないガタガタするコンクリートの道を、俺も男も必死で走る。俺は、滑って転びそうになりながらも、前に進む。
徐々に、徐々に男と距離を詰めていく。

許さない。
絶対に逃すものか。

俺は、顔に当たる雨の痛みも振り切って、前を見据えた。





「お前の子供は預かった。返してほしければ今日中に30万円を振り込め。」

そんな電話が午後2時半にかかってきて、冷静な判断が出来るだろうか。


例え、
子供は学校帰りに友達と遊んでいただけだとしても。

例え、
子供のスマホに電話が繋がらないのは、犯人による通信妨害のせいで、子供は誘拐されていなかったとしても。

それでも、
自分の子供を誘拐したという電話がかかってきて、
子供はまだ学校から帰ってこなくて、
銀行があと30分で終わってしまうなら、
親は振り込んでしまうのだ。

振り込んでしまうのだ。



そんな事件が、もう100件以上多発している。

電話中に子供が帰ってきたり、子供が学校を休んでいる日に電話がかかってきたりして、事件にならなかったものもある。それらを含めると、この事件の被害は500件以上になった。



子供を思う親の心を利用した卑劣な行為だ。
許すことなどできない。

警察は、子供たちの携帯電話を調べ、通信障害を起こした原因を探り当てた。そして、一人の男に辿り着いた。

子供たちが持っていた端末にアクセスしていた通信機器は、複数あった。しかし、そのすべての契約主が同じ人物だったのだ。

その男が犯人であろうことは、間違いない。


俺たち警察は、その男の身柄を拘束しようと男が住むアパートに乗り込んだ。少し古いアパートの2階の角部屋。そこが男の部屋だ。

入道雲が空を覆う、夏の午後。
先程まで鳴いていたせみが一斉に鳴き止んだ。

警察手帳を見た男は、部屋に招くフリをして俺たちを家の中に入れ、玄関の鍵を閉めた。急いで鍵を開け外に出ようとしたが、障害物があるのか、ドアが開かない。

やられた。

かん、かん、かん、と男が階段を降りる音がする。

逃すわけにはいかない。

俺は、咄嗟とっさにベランダへと走った。
2階くらいなら、なんとかなるだろう。

ベランダの柵を乗り越えて、曇天の空に跳ぶ。

どん、と音を立てて着地した。
一瞬、足に痺れが走った。
それだけだ。
異常はない。
俺は、男を追った。


男が白い軽自動車に乗り込む様子が見えた。
男の後を追うため、俺もパトカーに乗る。
エンジンをつけた瞬間、雨が降ってきた。

さぁぁぁさぁぁぁ


男の乗る白い軽自動車を見失わないように、道を走る。住宅地は信号がないから、男の車が止まらない。

住宅街を超えた軽自動車は、突然左に曲がった。そして、一方通行の細い道に入った。

林道だ。
その先に進むと右側が崖になる。

パトカーでは細くて通れないと思ったのか?
甘いな。

俺はスピードも落とさず、軽自動車を追って林道を進んだ。


ざぁぁぁざぁぁぁぁぁざぁぁぁぁぁ

ワイパーが追いつかないほど、激しい雨。

ざぁぁぁぁざぁぁぁぁざぁぁぁぁぁぁ

視界がきかない雨の中、
車体ギリギリの道幅を、
左は岩壁、右は崖に囲まれながら、進む。

かざっと音がした。
道沿いにある木の枝に車体をぶつけたらしい。
気にせず前の白い軽自動車を追う。

カーブミラーもない道を、
右に、
左に、
左に、
右に、
進む。

時々右後ろのタイヤが崖に浮く。
その時は、スピードを上げて、落ちる前に進む。


ざぁぁぁぁぁぁぁぁざぁぁぁぁぁぁぁぁぁざぁぁ


ふいに、前方の車が止まった。
どうやら車輪が、泥濘ぬかるみはまったようだ。

これで観念するか。

と、思ったが違うようだ。

軽自動車の運転手側のドアが開いて、勢いよく男が車から飛び出した。
そのまま、林の中を走って行く。

車で通れる道ではないな。
俺も、パトカーの扉を開けて、走り出した。


ざぁぁぁぁぁぁぁぁぁざぁぁぁぁぁざぁぁぁぁぁぁぁざぁ

耳をつんざくような雨の音。
体を叩く水の冷たさと痛みを感じる。
外は、目を開けていられないほどの土砂降りだった。

それでも、男を見失わないように顔を上げる。
篠突しのつく雨の林、木々の間を男が走っていた。
俺は、走りながらジャケットを脱いで、右手で握りしめた。



土砂降りは、まだまだまない。




ざぁぁぁぁぁざぁぁぁぁぁざぁぁぁぁぁぁざぁぁぁぁぁざぁぁぁぁざぁ

木々の間を通り抜け、林道を出た。細い県道にたどり着く。県道といっても整備されていない道だ。でこぼこで土砂降りの道路は、みぞに水溜まりができていて走りにくい。

前にいる男も、水たまりに足を取られることを気にして、右に左にとフラフラ走る。

いや、フラフラしているのは体力の限界なのかもしれない。
だんだん、走るスピードが遅くなってきた。

ふら、ふら、ふら、と体が揺れて、男は立ち止まった。


ガードレールに身を預け、
肩で息をしながら、
怯えた顔を俺に向ける。

「捕まるものか、、、」
男から悲痛な声が漏れる。

ガードレールに身を寄せて、少しでも俺から距離を取ろうとする。

「諦めろ。」
俺が近づくと、男はガードレールに身を乗り出した。

こいつ、、、

「おい、何をする気だ。」
とっさに声をかける。


ざぁぁぁぁぁぁぁぁざぁぁぁぁぁぁぁぁぁざぁぁざぁぁぁぁぁざぁぁぁざぁぁぁぁ


「息子が、病気なんです。」
男は、俺の質問に答えない。

「まあ、離婚して今は妻のところにいるんですけど。それでも、僕の息子なんです。」
男は天を仰ぐ。

真っすぐな雨が、男に降りかかる。
それでも、男は顔を上げたままだ。

「親はね。子供のためならなんでもするんです。」

男は、歪んだ笑顔を俺に向けた。
今にも、ガードレールを乗り越えようとしている。


ガードレールの下は崖だ。
そんなに高いわけではない。
それでも、崖だ。

しかも、この雨で地面は滑りやすい。
足を滑らせて落ちれば、タダではすまないだろう。


ざぁぁざぁぁぁぁぁざぁぁぁぁざぁぁぁぁぁぁぁざぁぁぁぁぁぁざぁぁぁぁざぁぁぁざぁぁぁ


大怪我するかもしれない。
怪我で済めばいいが当たり所が悪ければ、、、

俺は、男に目を向ける。

『親は子供のためなら何でもする。』



被害者の顔が浮かぶ。

──────誘拐なんてなかった。
──────ただの詐欺だった。

それがわかった時、『ああ、よかった。』と安堵の涙を流す人をたくさん見てきた。


「そうだな。」


俺は、この男を許すわけにはいかない。


「お前の言う通りだ。親は、子供のためならなんでもする。」

子供を助けるためならば、
大切に貯めてきたお金も振り込んでしまう。

子供を助かるためならば、
一か八かにかけて崖から飛び降りようとする。

ざぁぁざぁぁざぁぁぁぁぁざぁぁぁぁぁざぁぁぁざぁぁぁぁざぁぁぁざぁぁぁざぁぁぁぁざぁぁぁぁ

土砂降りが一層激しくなる。

俺はこいつを許さない。
そして、俺はこいつに大事なことを伝えなきゃいけない。


ざぁぁぁざぁぁぁぁざぁぁぁぁぁぁざぁぁぁぁぁ
ざぁぁぁぁぁざぁぁぁざぁぁがらぁざぁぁぁぁざぁぁぁぁ


「ただな、」


土砂降りに負けない声で、叫んだ。


「家族全員で幸せになりたいと思ってる、子供の気持ちも考えてやれよ!!!」


俺は握りしめていたジャケットの胸ポケットから、透明なパックに入れた一枚の絵を取り出した。



小さな子供が書いた絵だ。

青い空にもくもくと雲が浮かぶ、のどかな風景。
その下にある、茶色の屋根にクリーム色の外壁の家。
そして、家の前には、人が立っている。

右手側に青いワンピースを着た女性。
左手側に白い服に青いズボンを履いた男性。
そして、真ん中に、二人と手を繋ぐキラキラの笑顔を浮かべた青い服の男の子。

家族の絵だ。そして、一番下に大きな文字で一言こう書いてあった。

『パパ、会いたい』


ざぁぁぁぁざぁぁざぁぁぁぁざぁぁざぁぁざぁぁざぁぁぁざぁぁぁぁぁざぁぁぁぁぁぁぁざぁぁぁぁざぁぁがらぁあざぁぁぁ



「あ、、、」
ガードレールにかかっていた手が、止まる。

土砂降りの中でもわかる。
大粒の涙が、男の顔を伝っている。


「僕は、、、」
声もないまま、男はガードレールから手を離そうとして、もう一度ガードレールを見る。

「──。」
男はガードレールの下を見ながら、何かを囁いた。

俺は、ためらいを振りほどいて欲しくて、もう一度叫ぶ。


「子供が待ってんのに、逃げんのかよ!!!!」




男が振り向いた。


そして、運命が振り向いた。


ごおおおおおぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉおおおおぉぉぉぉぉぉおおぉおおおおぉぉぉおおおぉぉぉ



地面が揺れる。
土砂降りをかき消すほどの轟音が響く。
ガードレールから手を離した男の後ろに、大きな岩が降ってきた。岩はその影で男を覆い、、、、

男の一歩後ろに着地し、
男が先程まで掴んでいたガードレールを巻き込んで、
崖の下に落下していった。


岩の後を追って、大量の土砂が流れてきた。






雨の音が聞こえてきた。
先程までの凄まじい音がんだのだ。

俺は目を開けた。
俺の前に、道はなかった。

茶色く黒い土砂が、全てを飲み込んで道を食い荒らしたようだ。瓦礫と岩と砂が、俺たちの行く手を阻んでいた。

俺も男も、呆気に取られてその場に立ちすくんだ。

あのままガードレールに身を預けていたら、
岩と共に、男は崖の下に落ちただろう。

もちろんガードレールの下に行ったら、
助かる見込みなんてなかっただろう。


土砂降りは少しずつ弱まってきた。



何が、運命を変えたのだろう。

―――子供を思う親の気持ちか。
―――親を思う子供の気持ちか。

何が、運命を振り向かせたのだろう。
―――必死に叫んだ俺の声か。
―――最後の最後で男が囁いた、息子の名を呼ぶ親の声か。


「行きましょう。」
俺は、男に声をかけた。

この男は、きっとやり直せる。


雨が、んだ。



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