【物語】裏庭で愛を知った裏話
「こんにちは~!」
何食わぬ顔で、おれは挨拶をした。
大きな紅葉がある日本家屋に、一人暮らしの老人がいる。このことは事前に調査済みだった。
様子を見るために日本家屋の裏庭を覗いたら、ちょうど白髪の老人が一人で庭の掃き掃除をしていた。そこで、下見を兼ねて声をかけてみた。
おれの声を聞いて、人の良さそうな老人がこちらを向いた。
「こんにちは。見ない顔だね?引っ越してきたのかい?」
老人は、わざわざおれに挨拶するため竹ぼうきを地面に置き、こちらに来た。
かかったな。
おれは、人懐っこい笑顔を張り付けた。そして、〈準備していた〉銘菓の箱を見せて〈準備していた〉セリフを吐く。
「実は、昨日隣のアパートに引っ越してきたんですよ。あ、これ。おれの地元のお菓子なんで、よかったら食べてください。」
その箱を見た老人が、少し嬉しそうに顔を緩めた。
そうだろう。
だって、この銘菓はこの老人に縁がある銘菓なのだから。偶然を装って老人に近づき、親しくなるための〈準備物〉なんだから。
この家に盗みに入るための、情報収集の一環として〈準備したもの〉なのだから。
「これは親切にありがとう。だが、私は一人暮らしでね。こんなにたくさんは食べきれないよ。よかったら、食べていかないかい?」
老人はおれに笑顔を向けた。
思っていたよりスムーズに事が運ぶな。
内心拍子抜けしたが、この機を逃すおれではない。
「え、いいんですか?嬉しいな。おれ、このお菓子好きなんすよ。」
おれは、親しみを込めた顔を浮かべて、老人の住む家に入った。
立派な日本家屋だ。
大きな裏庭に紅葉があり、少し先に小さな池と橋がある。いかにもお金持ちといった感じだ。
確かここは、この地域で有名な和菓子店の一族の家だ。3代目が家を継いだが、不幸にも家族と共に事故で亡くなった。そこで、別の地域で修業を積んでいた3代目の弟が、4代目として家を継いだらしい。今は、4代目も引退して、別の場所に住居を構えた5代目が店を継いでいる。
目の前の老人は、隠居した4代目。
生まれた時から裕福な家で育ち、
運よくこんな立派な家を継げた、
幸運な男。
赤い紅葉をレッドカーペットのように悠々と歩く目の前の老人。それを見て、心の中で舌打ちをした。
運悪く貧乏な家に生まれ、
唯一の家族である妹が病に罹り、
治療をしてやる金もない、おれ。
おれの気持ちなんて、こいつにはわからないだろう。
―――幸運な奴にはわかりやしない。
さくさく進む老人の背中を、おれはじっと見ていた。
老人はおれを縁側に座らせて、キッチンに向かった。
その間に、おれはあたりを見渡した。
縁側に面した部屋には、畳の上に立派な花瓶がある。そこには、紅葉の枝が添えられていた。花瓶の手前には、たくさんの花が描かれた水墨画の屏風がある。きっと、花瓶も屏風もいい金になるだろう。それに、屏風の奥には、高そうなタンスがある。金目のものはあそこだな。そういえば、先程通ってきた竹垣の戸はフック式だった。工具を使えばすぐに開けられる。
侵入経路も、持っていくものにも目星をつけた。
あとは、老人が本当に一人暮らしなのか確認したら、準備完了だ。
盗みに入るのも7件目。
もう緊張感さえなかった。
そろそろ老人が茶を入れてこちらに来るだろう。
辺りを見渡すのをやめて、紅葉を見た。
はらはらと優雅に揺れる紅葉。
ふと、妹のことを思い出す。
あいつは、おれを許してくれるだろうか。
体が弱くて、本を読むのが好きで、憧れの高校に合格したと同時に病に罹った、おれの妹もみじ。
優しい妹が、強盗なんて犯罪を許すはずがない。そんなこと分かってる。でも、おれは唯一の家族を守りたい。
おれは、紅葉を見る。
―――これでいいんだ。
―――これじゃだめだ。
紅葉は木枯らしに吹かれて、揺れる。
「お茶とお菓子を持ってきたよ。」
感傷に浸っていたら老人が帰ってきた。
俺はもう一度、人懐っこい笑顔を張り付けた。
「お!ありがとうございます!!」
老人がおれの隣に腰を掛けた。
目の前の紅葉は、ひらひらと揺れていた。
おれは、自分の中の葛藤を殺した。
妹を守るために。
「おじいさんは、ずっとここに一人暮らしなんですか?」
月に似せたお菓子を2つほど食べた後、おれは、さりげなく老人に聞いた。
「ああ。1年前、妻に先立たれてね。それからは、一人だよ。」
事前の調査と一致する。
確認完了。
「そうなんすね。なんか、すみません。」
おれは少し悲し気な表情に切り替えた。
下を向いてうつむく。
正直、家族を失った話なんてこれ以上聞きたくなかった。
「いいんだ。妻のことを話せる機会もなくてね。久しぶりにあいつのことを思い出せて、私は嬉しいよ。」
老人は、おれの気も知らずに話を続ける。
「私は昔、お菓子職人でね。このお菓子を作る一人だったんだ。」
知ってる。
おれは、へーと返事をした。
少し気のない返事になってしまった気がするが、致し方ない。
老人は気にする様子もなく話を続けた。
「その店に、妻がこのお菓子を買いに来たんだ。」
遠い昔を見ているような目で、老人が紅葉を見た。
今はもう、一人暮らしの老人。
気ままな一人暮らしだと思っていたが、そうでもないらしい。
この老人にも、愛した人がいて、その人と過ごした思い出がある。
心の中がチクリと痛んだ。
その痛みに気付かぬふりをして、おれは茶化すように老人に話しかけた。
「それで、おじいさんが一目惚れしたの?」
「老人をからかうんじゃない。」
少し顔を赤くした老人が、偽物の月をかじる。
聞きたいことは聞けたし、思ったより順調に下見もできた。
そろそろ帰ろうと腰を上げかけた瞬間、半分になった偽者の月を見ていた老人が、笑った。
さわやかな秋の風が、さらりと吹いた。
愛しそうに菓子を見る老人に、思わず目を奪われた。
「一目惚れか。そうかもしれないな。」
もしもこの世に愛という音があるのなら、きっとこんな音をしている。
そう思うような、愛しさが詰まった声だった。
その声は、まだ続いた。
「たった一度出会った人が忘れられなくて、その人が鞄につけていた紅葉のキーホルダーを思い出しながら、親父に頼んで、裏庭に紅葉を植えるくらいには。」
秋風が赤い絨毯を巻き上げた。
赤い蝶のように庭中に広がる紅葉。
「退職したら、ずっと一緒に居られると思ったのになあ。お前はせっかちなんだよ、もみじ。」
〈もみじ〉
おれは驚いて老人のほうをみた。
勢いよく老人を見てしまったから、老人がおれの視線に気づかないはずない。それなのに、老人はおれに視線を向けることもなく、紅葉を見つめていた。
おれは、静かに湯飲みに視線を落とす。
このままでいいのだろうか。
おれ、このままでいいのかな。
もみじ。
心の中で、妹に話しかける。
真っ黒な俺の心の中で、妹が首を振って、微笑んだ。
ヒューヒューと冷たい風が強く吹きぬけた。
その風に乗って、老人のもとに一枚のもみじがひらひらと近づいてきた。
老人は、その紅葉に手を伸ばす。
老人の指先に触れた紅葉。
それをつかむ、しわが刻まれた老人の手。
手に、顔に、
刻まれたしわの一つひとつに、
秋の日差しが反射する。
ああ、苦労してきた手だ。
同時に愛したものを掴んできた手だ。
ああ、苦悩してきた顔だ。
同時に愛したものを見つめ続けた顔だ。
美しい唐草模様を宿した老人が、眩しい。
こんな風に人を愛してみたい。
こんな風に人を導いてみたい。
こんな風に美しく生きてみたい。
ふわりと、秋風がたくさんを紅葉を連れて空に上がる。
老人は手にした紅葉を離さない。
大事な人と手を繋ぐように、紅葉の手を握っている。
秋風に攫われぬように、優しく、強く、握りしめていた。
おれは、覚悟を決めた。
このまま警察に出頭しよう。
事情を話して、妹のもみじを保護してもらおう。
罪を償って、ここにもう一度来よう。
今度は、
なんの悪意もない、
本物の気持ちを込めた月の菓子を持って。
この作品には、対になる物語があります。
お時間ありましたら、ぜひ読んでみてください!!
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