【物語】ほろ苦さに導かれて
オシャレなレンガ造りの街並み。
モデルのようなスラリ長身の女性が、金色の髪をなびかせながら街を颯爽と私の横を通り過ぎた。街には、先程すれ違った女性と同じくらいの美人や、ハリウッド俳優さながらのイケメンがあちこちにいる。
まるでファンタジーの世界のような煌びやかな風景に、私は眩暈がした。
落ち着こうとあたりを見渡した時、小さな雑貨店の扉に私が映った。
秋らしい茶色のチェックのスカートに、深いワインレッドのカーディガン。黒い髪はハーフアップに結んで白いシュシュを付けている。私なりに精一杯おしゃれした服装だ。
でも、あこがれのヨーロッパのオシャレはこんなものじゃなかった。
みんなスタイルがよくて、おしゃれ。
知らない言語で話す人々の笑い声が聞こえる度、自分が笑われているんじゃないかとびくびくしていた。
こんなことなら来なければよかったかなあ、と心の中で少し後悔した。
デザイナーの母が、出張でヨーロッパに行くから一緒に来ないかと私を誘ったのは、1ヵ月前。ちょうど大学が夏休みで、あこがれのヨーロッパにいけるとあって、私は1も2もなく頷いた。
でも、憧れはあまりにも美しすぎた。ヨーロッパの街並みと私は、あまりにもちぐはぐ。
例えるなら、たっぷりとしたフリルに宝石が散りばめられた美しいドレスに、プラスチックでできたおもちゃのネックレスを付けているような、場違い感。
あまりの疎外感に落ち込んだ。そのまま、雑貨店のドアに映る私をぼんやり眺めていた。
すると、カランカラン、とかわいらしい音がして、目の前のお店のドアが開いた。お店の中からは、美しくカールした輝くブロンドの髪をポニーテールにまとめ、控えめな黄色いワンピースに愛らしい白いエプロンを付けた女性が出てきた。女性は、青い目で私を見つめて微笑んだ。
あんまりにもお店のドアを見つめていたせいで、お店に入りたい観光客と間違えられてしまったのだ。
「あ、、、」
英語さえろくに話せない私は、とっさにスマホを取り出した。翻訳アプリを立ち上げようとしたのだ。そこに、ブロンドの髪をなびかせながら、女性が近づいてきた。
「ニホンのかたですか?」
私はびっくりして目を見開いた。
美しい青い目をした女性から、今や懐かしくさえある日本語が聞こえてきた。
「すみません。ちょっと迷っていて、、、」
私は、お店に入る気がないのにドアをじろじろ見ていた後ろめたさが私の頭によぎる。
「そうなのですね。少し見ていかれませんか?」
女性は白く長い指先をそろえて、お店の方を示した。どうやら雑貨店の隣に休憩スペースがあるらしい。
断るのも悪くて、私はあいまいな笑みを浮かべたまま頷いた。
女性は静かに微笑むと、私を先導するようにお店の中に入った。
カランカラン、というドアベルの音をくぐってお店に入る。入って右手には、たくさんの煌めきがあった。
宗教画が描かれている鮮やかな黄金色のグラス。近くには、チューリップの花のように飲み口が広がった赤く透き通るマグカップが置かれている。所狭しとガラスの花畑。
店内の奥には、カップとソーサー、ティーポット、マドラーなど、コーヒーや紅茶を飲むためのセットが置かれていた。
「Venetian glassをしっていますか?」
うっとりしていたら、ヨーロッパの街に戻された。
聞きなれない言葉。
おろおろしていると、女性はもう一度ゆっくり話してくれた。
「ヴェネツィアン、グラス、を、しっていますか?」
ヴェネツィアングラス、、、
ベネチアングラス、、
聞いたことがある。
イタリアのベネチアで有名な工芸品だ。
そうか、ここにあるのはベネチアングラスなのか。値段は見ないことにして、私は女性に話しかけた。
「聞いたことがあります。どれも綺麗ですね。お花が咲いているみたい。」
女性は両手で口を隠して、ふわっと笑った。
「おはながさいているみたい。うつくしいことばですね。」
私からすると、さっき女性が言った「Venetian glass」のほうが美しいと思う。けど、女性からすると違うのだろうか?
にこにこした女性は、お店の右側を示した。
小さなテーブルと椅子が2つ。お客様の席だろう。
「ニホンからきたあなたにありがとうを込めて、エスプレッソをお出しします。少し待っていてくださいな。」
私は驚いた。
いいのかな?
不安げな私に、女性はにっこりした。
「おもてなし、させてくださいな。」
その言葉に安心したのは、日本語だったからだろうか。それとも、女性があまりにもにこやかに笑うからだろうか。
肩の力を抜けた。
「ありがとうございます。」
お礼を言って、私は丸くて優しい木のテーブルに座った。
少しした後、あの女性が香ばしいコーヒーのにおいをさせながら、テーブルに来た。
「エスプレッソは、いっぱいサトウを入れてのむんですよ。」
いたずらっ子のようなおちゃめな笑顔を浮かべて、彼女はどんどん砂糖を入れた。
コーヒーに溶けないほど、たくさんの砂糖。
美しいカップのそこに眠った砂糖を、スプーンですくって一口。
甘そう。
でも、美味しそうだ。
私も真似してみる。
金色のシュガースプ―ンをもって、何度もシュガーポットとコーヒーカップをいったりきたりする。
もういいかな、と思ったあたりで一度かき混ぜる。
砂浜をかき混ぜているみたい。
ざらざらと音がするコーヒーカップをかき混ぜ、底にたまった砂糖をすくう。
茶色に染まった砂糖は、琥珀のように煌めいた。
食べるのがもったいないほど美しい。
少し琥珀のきらめきを楽しんだ後、私はスプーンを口に入れた。
甘い。
疲れが癒えそうな、元気が出るような甘さ。
ちょっと苦い。
コーヒーの風味をほんの少し残した砂糖の後味は、甘いだけじゃない。
歩き回って疲れた体に、
美しさと甘さという贅沢が染みた。
夢のような場所で迷子になった心が、
ほんの少しの苦みで自分を取り戻した。
「本当に、ありがとうございました。」
夕日がヴェネツィアングラスを輝かせる時間。
私は暮れなずむヨーロッパのレンガを背に、女性に挨拶をした。
「いいえ、こちらこそ。」
首をかしげる私に女性は言った。
「昔、私がニホンに行った時、手を貸してくれたん人がいたんです。その人と同じことしただけですから。」
どこか遠くの街並みが、ぐっと親しみを持った気がする。日本人が助けた外国人が、私を助けてくれた。おもてなしという名の優しさの連鎖が、私に力をくれた気がする。
「今度ニホンに来るときは、『抹茶』を飲んでみてください。」
私も彼女に「おもてなし」したいから。