勿忘草、語ります。/見てる世界
冬を迎える夜空が綺麗だったので、語る。
「私には、他の人には見えないものが見える。」
と、言うとかっこいいがなんてことはない。
『乱視』なのだ。
だから、物がダブって見える。
例えるなら、
陰影をつけた文字のような、
水鏡に映る景色のような、
物と物の境界線が曖昧な視界なのだ。
幼い頃、左目が乱視になった。いつからなのかは分からないけど、生まれつきではなかったらしい。成長するにつれ、右目も乱視になった、、、らしい。
ある日突然乱視になった訳ではない。ちょっとずつちょっとずつ、視界が変わっていったのだ。だから、私には乱視になる前の景色も今の景色も何が違うか分からない。
ちょっとずつ、見え方が変わっていったのだ。だから、眼科で「見え方が変わってますね。」と言われても実感がない。
物がダブって見えるのが、私の世界の普通なのだ。
特に、遠くにあるものは重なって見える。
見ている物の後ろに、ひっそりともうひとつの物が見える。ゆらゆら揺れるもうひとつが、私には見える。
遠くにあればあるほど、物と物の境界が曖昧になっていく。
遠くにある物。
代表的なのが、月だ。
私が見ている世界の月はいつも双子さんだ。
はっきりと見える月と、
その後ろからひょこりと顔を出すもうひとつの月が、ある。
雲の中に隠れて朧月になると、もういくつあるのか分からない。
いつも月がはっきり見えないから、十六夜月と満月は間違えてしまう。なんなら、ちょっと大きい三日月と半月も間違える。
他の人は、はっきり月が見えているのかな?
写真に映し出されるような、月が。
はっきり見える人には、月の模様が見えるのかな?
大きくて複雑な文様を描く、月が。
私、月で餅つきしてるうさぎ、見えたことないんだよね。
コンタクトやメガネでサポートしてもらっても、月だけは、はっきり見えない。
資料や写真で、うさぎが餅つきしてるように見えることを解説しているものもあるけど、私には見えないから、本当なのかなぁっていつも不思議に思っているの。
ふふ。
私が見ている月は、みんなが見ている月とはちょっと違うらしい。
不便なことはないんだ。
月が美しいってだけ。
特別な事はないんだ。
常に地球に同じ顔を見せている月さえ、一人ひとり見え方が違うんじゃないかなぁというだけ。
乱れていようと、私の世界は美しい。
きっとみんなの世界も美しい。
やっぱり、世界の見え方は一人ひとり違うのだろうなぁ。ぼんやり月を眺めて、そんなことを思う。