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「褒める」と「認める」は違う【ステキなコメントに感動した話から】


他人のことを褒めてくれる人って
素晴らしい人だと、いつも思ってます
  褒める=認める
ということだと思ってるので

他人を認められるってすごいな
心が広い人なんだな
って思ってるので




なぜこんなことを考えたかというと…



noteを始めて1ヶ月余りの頃、もうネタがなくて
何書けばいいのか血迷っていた時のこと
その気持ちを、恥ずかしげもなく
素直にそのまま綴りました


こんな恥ずかしい弱音投稿に対して
コメントをくださった方がいらっしゃいます
それを読んで
涙が出そうなくらい嬉しかったのです
とてもステキなコメントでした

全文をご紹介したいくらいですが
ご本人の許可をいただいてませんので
一部を切り取って、なんとなくだけ…

弱音=本音

本音が、書けるなんて
素晴らしいと思いますよ。

心の葛藤や悩みが、
ストレートに表現出来ていて
感情が伝わって来たので、

自分がダメだと、お感じになられてる所が、他人からみたら、魅力的に感じる事もありますよ。


コメントしてくださった○○○○さん、
勝手に切り取って掲載してすみません
いつもありがとうございます

この方のコメントに、私は救われました
稚拙な私の投稿を読んでくださり
何かを思ってコメントまでしてくださった
本当にありがたいです


そして、こんな私でも
まだ書いていいのかな
と思えるようになりました

私のことを、褒めてくれて
認めてくれたのかな
と思えました


そこで
冒頭のコメントに戻るのですが


  他人のことを褒めてくれる人って
  素晴らしい人だと、いつも思ってます
   褒める=認める
  ということだと思ってるので

  他人を認められるってすごいな
  心が広い人なんだな
  って思ってるので


だから、このコメントをくださった方は
心が広い方だと思っています



それは間違いないのですが



私がずっと思っていた

 褒める=認める


調べてみたら
そうではないみたいなんです
この二つはイコールではないみたいなんです



「褒める」と「認める」の違い


褒める
 人の行為行動を評価する
 主観的な評価が入るアプローチ
 成果などの結果に意識が向いている
 自己肯定感の向上に役立つ

認める
 結果に関わらず存在そのものを認める
 相手が持つ何らかの属性にスポットを当て、
 良い悪いの判断抜きに言及すること
 条件をクリアしたかどうかを度外視し、
 自主性やプロセスを尊重した声掛け


分かりやすい記事がありました


褒めることは時に気恥ずかしい


すごいな、ステキだなと思っても
それを言葉にして相手に伝えるのは
相手のことを知っていればいるほど
気恥ずかしかったり、
素直に言えなかったりします

だったら、結果に関わらず
相手の存在そのものを認めて伝える
良い悪いではなく
プロセスを尊重して伝える

つまり、「認める」
ということから始めてみればいいのでは


「認める」を伝えたい


良い評価で褒められたら、
それはもちろん嬉しいですよね

でも、評価はなくてもいいのかもしれません
自分のことを見てくれている人がいる
認めてくれている人がいる
そう思えるだけでも十分嬉しいです


そう思っていても
それを伝えるのはなかなか難しいですよね
いや、難しくはないのだろうけど
敢えて「伝える」という行為までには
及ばないことが多い気がします


でも、伝えてもらったらとても嬉しい
それを今回のことで実感したので
私も少しずつ実行に移していきたいと思ってます


認め合えるって
ステキですよね


私ももっと広い心を持てるようになりたい
なってみせるぞ!


そんな思いに気付かせてくれた
コメントをくださった○○○○さん
ありがとうございました


最後に
今日の見出し画像

今回もみんなのフォトギャラリーから拝借
褒めると言えば
「よくできました」と「はなまる」
小学生の時、もらって嬉しかったな
このイラストをひと目見て
懐かしい学生時代を思い出したので
選ばせていただきました

こういうイラストを
みんなのために提供してくださり
とても感謝です
いつもありがとうございます!








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