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子どもの居場所探しに奔走した日々(地方公務員✖️凸凹子育て 39 )

下の子が学校に行けなくなり、別の居場所を探そうと思った。
小1の夏休み以降、いくつかのフリースクール、オルタナティブスクールの見学に、息子を連れ回した。
息子は全く乗り気ではなく、渋々付いてはきたが、頭が痛いとかお腹が痛いとか、身体で拒否をしていた。さらには、夜に怖い夢を見て怯えたりした。

それでも、私は諦められなかった。
どこか別の居場所を探さなきゃ、このまま家にいてはダメだという思いだった。
勉強は取り返せるかもしれない、だけど人とのつながりは?他者とのやり取りの中で人間関係を学んでいくのに、それが失われてしまう!と焦っていた。

色々と頑張ったが、結局上手くいかなかった。
息子のメンタルは低下したままで、数回行っても続かなかった。
当時、見学先のフリースクールの方に言われた。
「この子に合う居場所を見つけなきゃと思っているんです」と訴える私に、
「居場所が欲しいかどうかも、決めるのはムスコくんです」とキッパリ。
児童精神科の先生にも言われた。
「大事なのは、本人が参加したいか。本人の意欲さえあれば、究極的には場所はどこでもいいんですよ」と。

今も、息子に社会的な居場所がない、という状況は変わらないのだけど、一つ違うとすれば、私の意識が変わったこと。
本人が決めること。
この言葉をようやく受け入れられるようになった。
当時は「このまま家にいてはダメだ」という思いでいっぱいだったので、息子は家にいても休まらなかっただろうと思う。
だけど今「いつか動くだろう、その時まで待とう」と親が決心したことで、息子はまず、家を居場所にできるようになった。

振り返れば、あの日、居場所探しに奔走していた私は「不登校だけど、〇〇に行っている」と言いたかっただけかもしれない。
息子のためと言いながら、自分を安心させたかっただけ。
子どもにとっては最初から「学校に行かなくても、どこにも行かなくても、あなたがいれば幸せだ」と言われることが必要だった。

だけど、最初からそんなことを言える親っているのかな。
私は、奔走した日々に後悔はない。
あの日の苦労があって失敗があって色んな人からの言葉があったからこそ、「本人が決めること」を受け入れることができた。
だって、日々見守り待つだけというのは、とても苦しい。
今でもすぐに揺れて、ぶれてしまう。
だから私はずっと、「待つ筋力」を鍛えているイメージでいる。
日々の揺れに、筋トレをしながら踏ん張って耐えている。

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