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子どもに言うより自分でやってみる(地方公務員✖️凸凹子育て 52 )

ママもパパも、どうして私に勉強しろって言わないの?と娘に聞かれた。
「勉強は人に言われてやるものじゃないよ」という答えが、すぐに自分の口から出てきたことに驚いた。
だけど、勉強に限らず、子どもに〇〇しなよということは、できるだけ言わないでいようと決めている。
それは、子どもをコントロールしないため。日々練習中だ。

転機はピアノ。
娘は小さい頃にピアノを習っていた。私は、彼女に毎日練習をさせようと声をかけていたし、発表会に出させようと一生懸命だった。そうやって親が考えていると、やろうとしない姿にマイナスの感情が湧いてくる。イライラしてくる。
彼女はピアノが嫌で嫌でたまらなくなり、辞めてしまった。
ところが数年後、もう1度やりたい、と再開したのだ。
その時、面白そうだなと思って私も習うことにした。
そこで、初めて分かったのだ。
毎日練習なんて、面倒くさい。
ピアノの発表会?そんなの出たくない。
練習しなよ、いい経験だから挑戦しなよ、と娘にかけていた言葉が今度は全て自分にかえってきた。
私は、自分はできないことを、やるべきでしょという謎の思い込みだけで、子どもにやらせようとしていたんだなとようやく気づいた。
不思議だが、ピアノの練習面倒くさいよね、発表会やだなぁと言っていると、子どもの方が励ましてくれたりする。そして、自分は淡々と練習していたりする。

それからは、子どもに〇〇したら?と言いたい時はまず、それをできるようになりたいのは誰?まず自分でやってみたら?と思うことにしている。
勉強も習い事も、新しい人と交流することも、もっと些細なことであれば、歴史漫画を読むとか、算数のパズルをやるとか、毎日身体を動かすとか。
そういう、子どもがやったらいいなと思うことは、つまりは私が価値を置いていることでしかない。
だったら、自分ができるようになればいいのではと考えて、取り敢えず自分でやってみることにしている。

やってみると、大抵のことは面倒くさくて難しく、長続きしない。
それを子どもに伝えて笑ってもらう。
だけど、子どもも自分の興味があること、今頑張っていることを嬉しそうに教えてくれて、それを素直にいいねと言える。

時々、この姿に影響を受けてほしいと思ってしまう私が出てくるのだが、こういう気持ち、子どもをコントロールしたい欲をどれだけなくせるか、これを手放せば手放しただけ、子どものありのままを楽しめる親になれると私は思っている。
そこに向けて、挑戦する毎日です。

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