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【日記】アセクシュアルの自分も結構悪くないと思った日の話

前回の続き。

セクシュアリティの違う人と過ごして、自分はやっぱりセクシュアルマイノリティなんだと気づいてから数日。

とてもいいお天気の日だった。


空は澄み渡ってて、風は心地よくて。

絶好の散歩日和。

なので、サイクリングに出かけてみた。

うちの近所にはちょっとしたサイクリングロードがあって、休日にもなると、家族連れから釣りに来る人、果てはロードレーサーまで、多種多様な人がやってくる。

川の近くにはレンタルサイクルもある。

私のお気に入りスポット。



財布と家の鍵一つ。
水筒とホットサンド片手に持って、自転車で駆け抜けた。

その日はやけに水面が近いなあ、と思った。

先日、台風が訪れたせいか、水位が上がっていたんだと思う。

いつもの景色がいつもとちょっと違う。
それだけで何か楽しい。


30分くらい走ったところで、自転車を止め、近くのベンチに腰を下ろした。


川辺から見える景色。手前の黄色いのは撮影スポット。



本当に気持ちのいい日だった。

空は澄み渡ってて、風は心地よくて。

周りの人もゆったり歩いていて、にこやかで。

―――なんかいいな。

そう思った。

―――一人で自転車こいで、空を見上げるの楽しいな。

心の底からそう思った。



その瞬間、気づいたのである。

私、この生き方を悪くないと思っている。

誰かと待ち合わせて、
おずおず向かい合って、
目の前の人を好きになってみようと四苦八苦して、
緊張しながらご飯食べるよりも、

誰とも待ち合せずに、
堂々とした佇まいで、
目の前に大自然を抱きながら、
呑気にご飯を食べる方が―――よっぽど楽しい。

そして、そんな自分も悪くない。
これがありのままの自分なんだと、唐突に悟った。

どこかのサイトで誰かが言っていた。

恋愛は所詮嗜好品なんだって。
生きていくために必須の必需品なんかじゃないよ、って。

だったら、人を好きになれない、人に「欲望」が抱けない、アセクシュアルの私のままでいいじゃない。

いつかカウンセラーの先生が言っていた。

ありのままの自分を受け入れることができれば、あなたの苦しみは和らぐかもしれません、と。

ひょっとして、この瞬間がそうだったのかな。
私、ありのままの自分を受け入れることができたのかな。

だとしたら、セクシュアリティの違う人と過ごしてもがいた日々も、私のこの気づきを得るための礎だったんだ。
そう納得することができた。

そんな、他愛もないひらめきに気づいた日の話―――。



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