【エッセイ】近くて遠い
自分があらゆる過程で拒んできたものたちこそが、自分のもっとも近くに、「私」よりも自分の近くに、いるという気がした。
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自分は自分が肯定したものたちよりも、自分が否定したものたちによって、育まれている。
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どうしてあのときああしなかったんだろう、と思うときのあの戦慄。あのときと今この瞬間のあいだに挟まれて、否定されたすべての自分たちの窒息。
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拒むことができないものばかり人は拒む。それを拒むことが不可能だから執拗に拒みつづける。その拒絶の繰り返しによって、いつのまにかなにかができあがっている。否定はたしかに、なにかを生み出している。
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拒まれたもの以上に、このなにかが許せないと感じるのは、それがこちらの拒む力を、その権利を、正しさを、脅かしてくるからだ。
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否定の否定というのではなくて、そもそもこのなにかこぼれていくということが、否定というものの一部なんだろうと思う
完全な拒絶のためには、拒絶そのものも拒絶されないといけない
その結果として、否定とも肯定ともつかないなにかが、その網をすり抜けていく
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この口から出た言葉も、書かれる言葉も、その否定につきまとわれているのかもしれないし、だからこそ続いて終わりがないのかもしれないし、そもそもつきまとっているのは言葉のほうなのかもしれず、そもそもここにははじまりもなければ終わりもないのかもしれず
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そのなにかが、否定によって生まれた距離を、不意にかく乱する
あんなに遠ざけていたはずのものが、思いがけず近くに、いや近くどころか私の中の、私よりも奥深くにあらわれる
その刃を、私の内側から私にむかって突き立てる
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自分の否定したものが、別の誰かにとってはかけがえのないものかもしれない
私の深くから私に突き刺さるある否定は、その痛みは、まったく同じままで、いつかどこかの誰かにとってはこの上ない癒しなのかもしれない
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誰のことも癒さないような傷はない。私の痛みは誰かを、まだこの世界に生まれてさえいない誰かを救うかもしれない。こう書いてふと今、否定を欲する気持ちが動いた。
読んでくれて、ありがとう。