【エッセイ】奪われたはじまり
誰も心を必要としなくなったから、こんなにも言葉があふれてくる。
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言葉を紡ぐから傷ついたのか、傷ついたから言葉を紡いだのか。それがわからなくなるくらい私たちは言葉を紡いだし、また傷ついてきた。
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私たちの喋りが喋ることとして成り立つには、その場にいる他の誰かの、あるいはなにかの沈黙がそばにないといけない。同じように、意味もそのそばにもうひとつ、あるいは多数の沈黙を必要としている。
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ともすればその言葉の意味は、むしろこの沈黙、静けさにあるようでさえある。
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静けさを求めるほど、私たちは喧騒の一部になっていく。
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どんな沈黙も欲しない言葉。むしろ意味が沈黙することで、他の多くがざわめきだすような言葉。無意味というわけじゃない。無意味だって沈黙を欲しているのだから。
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その言葉の前と後で、ちがう私がいないといけない。言葉の前の私が、永遠に沈黙しなければ、言葉は言葉にならない。
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未来に向かって音が響いていくとき、過去から音が奪われていく。
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この世のはじまりに無が思い描かれるのは、私たちがそこからなにもかもを奪い尽くしたからだ。奪い尽くされることが、はじまりであることそのものなのだ。
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心からなにもかも奪い尽くしたとき、私たちがはじまる。
読んでくれて、ありがとう。