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【エッセイ】考えるから私はいない

考えることは世界にあろうとするよりも世界から消えようとすることにより近い。考えることのどこかには、自己の消滅が含まれている。

その人と同じ罪を犯して、それでなお蔑むことのできる人間だけを軽蔑することができれば。自分を極限まで削ったところでやっと、自分の軽蔑に資格を与えるとでもいうみたいに

人として生きるとは、人の欲望の対象となることだ。誰か、あるいはなにかのためという形を借りながら、「~~のため」の裏をかくこと。

自分の余地を使い果たしたところでやっとなにかがはじまる。けれどもそのなにかを知ることはない。その使い果たしを突き詰めたところには誰ひとりいない。孤独さえそこにはない。

あるものが痛むのか、痛まないのか、それを選ぶことさえ、私たちの未来を決定する
心の痛みにおいて、このことはとりわけあてはまる。心は痛みを感じ取れない。だからこそ、私たちの意思の下で、心は無尽蔵の痛みを有している

忘我の瞬間に不意に襲ってくる感覚ほど、赤裸々で訴えかけてくるものはない。まるでそれを自分が感じ取ったというよりも、そこから自分がはじまったかのようだ。

その自分は急に呼び出されたことに戸惑っている。自分自身の新しさ、自分であることの覚えのなさに戸惑っている
これまでの自分を裏付けてくれるはずの記憶が、その自分にとってはよそよそしく感じられ、だからそれを自分に合うように組み換えなければいけない

考えることのはじまりにあるあてのなさ、一度考えがはじまれば忘れ去られてしまうその。

謎を前にしたとき、なにもかも無の、真っ白な瞬間がある。自分はばらばらになる。謎に触れた瞬間に私たちは消えている。

謎がいなくなってはじめて思考が起こる
思考とは、謎をあとにした流れであり、それはつねにどこかをめざしている
めざす先がどこなのかわかっていないときでさえそうで、むしろ、そのような宛てを失っているときほど、先をめざしていることがはっきりと感じとられる


読んでくれて、ありがとう。

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