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【エッセイ】思い出に破壊されたもの
人の持っている記憶は人それぞれに唯一無二のものだ
そしてそれは、それが思い出されるひとつひとつの瞬間に、唯一無二でもある
記憶は刻一刻変わり続ける。だから、私たちは一度思い出したものを二度と思い出すことができない
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思い出はその都度一度きりだ。
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果たして、思い出は私たちを守りに来るのか、それとも破壊しにやってくるのか
なにかを思い出したなら、それを思い出す以前の自分には戻れない
いや、その「以前の自分」とはもはや自分ではなく、
名前を奪われた誰かだ。その名前を奪って、思い出した自分がいる
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思い出すたびに、その思い出の地点から今までを、たどりなおしているように思える
けれども実をいえば、思い出すたびたどられるのは、そのたびごとに別の道だ
その思い出される地点だって同じではない
思い出は、過去から未来を結びつけるよりもばらばらに粉砕する
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もしなにかを完璧に思い出すことがあれば、そのとき一切が破壊しつくされるだろう
逆にいえば、私たちの思い出は不完全だから、私たちは生きながらえている
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思い出の裏面としての破壊されたものにたどりつくことは決してない。私たちが今こうあることが、破壊の表面だ。この「身体」にどうやってたどりつけばいいのか?
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ある巨大な爆発のあとの、真空を押しつぶす空気の収縮のようなこの「私」でありこの身体だ。
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思い出という完璧な破壊になりきれなかったものが、ここに残っている
思い出は過去と今をつなぐのではない。断ち切ろうとし、けれども断ち切りきれなかったから私たちがいる。たしかに残骸なのかもしれない
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思い出は不完全だとしても、私たちが完全に消し尽くされて完璧になるわけでもないだろう
その完璧さに私たちは必要ない
が、そうやって必要ないということさえおこがましいくらいに私たちはそこに不必要なのだ。といって無関係というわけでもない。といって関係があるというのも無関係というのもおこがましい
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思い出という役目を果たしきれなかった、「私」は今ここにいる。
読んでくれて、ありがとう。