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波の音には水平線が響いてる

空と海の接しているかに見えるところに名前をつける
こうやって名前をつけることは思考のはじまりにちがいない
なぜならあの線は、欺かれた感覚の中にしか存在しないからだ

思考とは、欺かれた感覚を言葉で肯定することで、自分をふくめた世界のすべてを欺こうとすること
だから思考を伸ばしていくことは、それを支えにして、なにもわからないでいようとしているようでもある

考えることは怖い。そして恥ずかしい
どれだけ正しく進めたとしても、この最初にあった欺きからは逃げられないから
そこから逃げるかのように思考は進む
逃げるからこそ逃げられない。逃げることで、つかまっている

その線を、「水平線」と名付けるとは、このような嘘に加担することだ
こうして生まれる距離に焦がれ始めると、いよいよ同じ場所に立ったまま、もう戻れなくなっていく

ついになにもわからないでいるために、波の音に耳を澄ませるだろう
すると波の音は耳に入って、水平線へと響いていく
まるで自分からその響きが発されたかのように
この「かのように」によって世界はもう一度あざむかれる

「かのように」を波のように感覚と思考の狭間に伝わらせていくこと、それが思考、つまり世界を欺くことだ
世界とは感覚と思考の狭間にほかならない

そうして世界を騙し、自身を響かせているはずだった
空と海の綴じ目のようなそこに目を合わせ、そこへ向かって
微動だにしないそのまなざしは、まるで目をそらせばなにかに耐えられなくなるとでもいうかのようだった

響かせていたその波の音にかわりはない
なのになにも変わっていなかったから、なにかが起こったとでもいうかのような、潮風にふかれるまぶしさの中でなにかが裏返ったように、そのときが来た

その瞬間を待っていたような気がした
全てを思い出し、ということは全てを忘れた
一瞬にすべてが牙を剥いた
すべてが逆流したようだった
その一瞬、波の音は水平線から響いた
そうやって水平線は音を奪い波にかえした

あとになればなにも代わりはなかった
そこに立っているのは他の誰でもないまま、
心臓は今までと同じようにまたたき、
呼吸は淀みなく規則正しく、波の音もいっそう、さらに心地よく
だからこそ恥ずかしくまた待ち焦がれる


読んでくれて、ありがとう。

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