ニンゲンかんけい

司馬遼太郎は、「ニンゲンは、ニンゲンかんけいでせいりつしている。ニンゲンから、ニンゲンかんけいを取りのぞいたら、臓器のカタマリにすぎない」というイミのことを書いている。
コレはたしかに、そのとおりかとおもわれる。ニンゲンが、たんなる生物ではなくて、しゃかい的なそんざいとしての「ニンゲン」になるためには、どうしても、ニンゲンかんけいがそんざいし、かつ、ひつよう不可欠になるはずである。

とくに、しゃかいにたいして出ていって、シゴトをするようになると。さらにいえば、そしきのなかにおいて、ハグルマとしてはたらくようになると、上司・同僚・部下であったり、お客、そしき内外のかんけい者・とりひき業者などとのあいだで、シゴト上でのやりとりが発生することになる。
俗にいう、「ほうこく・れんらく・そうだん」のホウレンソウであったり、あるいは、じぜんにせつめい・せっとくをする。そして、「上司のキョカであったり、かんけい者の総意・なっとくを得なければならない」というケースがおおい。

つまりは、このだんかいにいて、否が応でも、「あいてとのかんけい性」というものが、しぜんと発生するはずである。
そして、あいてとのかんけい性を、ズバリいってしまえば、「ニンゲンかんけい」になるかとおもわれる。

シゴトにおいて、たにんとのニンゲンかんけいが悪化していると、あらゆることで、こんなん・障害が発生することになる。そして、もんだい・トラブル・モメごとに発展しやすい。
さらにいえば、じぶんがせきにん者としておこなうシゴト・事業などが、悪化したニンゲンかんけいのせいで、ミス・しっぱいし、じぶんがヒドイ目に遭ってしまうケースもおおい。

こういうケースになってしまえば、せきにん者である以上、じぶん自身が、その後始末・後ショリをすることになるのだから、ツラク・くるしい目に遭うはずである。
だからこそニンゲンは、とくに、しゃかい人は、ニンゲンかんけいになやみ、くろうするハメになる。

しゃかい人がシゴトをヤメて、転職をするときに、もっともおおいりゆう・げんいんは、ニンゲンかんけいである。というハナシを聞いたことがあるが、おそらくこれは、あたっているかとおもわれる。
それほどまでに、ニンゲンかんけいはむずかしく、かつ、たいせつ・重要である。

ろこつなハナシをしてしまえば、たとえシゴトないようがキツイものであっても、そのしょくばのニンゲンかんけいが良好であれば、意外と耐えれることがおおい。
コレとはぎゃくに、シゴトないようがラクでカンタンなものであっても、そのしょくばのニンゲンかんけいがサイアクであれば、耐えることができない。
つまり、シゴトをヤメて、転職をかんがえやすくなる。

どうやら、司馬遼太郎の指摘したとおり、ニンゲンが、ニンゲンとしてせいりつするためには、ニンゲンかんけいが重要・たいせつかとおもわれる。
どのようなジャンル・分野のシゴトであっても、ニンゲンかんけいの重要性・たいせつさを無視することは、しゃかい人として、たいせつで重要な「なにか」を見落としており、欠落しているといえそうである。


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