悲運の天才
むかしから、「悲運の天才」というコトバがある。コレは、たかいレベルであり、常人以上のずのう・のうりょく・さいのう・知能をもっている天才であるのだが、どうにも運がワルイ。
そのために、ミス・しっぱい・はいぼくし、さいごに失脚・ぼつらくし、ヒドイ目に遭ってしまうタイプのことを、いっているかとおもわれる。
こういうタイプのニンゲンは、あらゆるジャンル・ぶんやを問わず、むかしから、一定数はいるかとおもわれる。
ということであれば、どうやらニンゲンは、「運に勝つことはできない」ということがいえるのかもしれない。
なにせ、天才であっても、悲運ではどうしようもないのだから。つまり、運が悪ければ、どうしようもないのだから。
ならば、逆説的な意見として、「ずのう・のうりょく・さいのう・知能などが、とくべつにすぐれておらず、並のレベルのぼんじん・いっぱん人であっても、運さえ良ければ、意外となんとかなる。勝利・成功をして、おカネもち・成功者になることができる」という視点・かんがえかた・発想が、でてくるかとおもわれる。
世のなか・しゃかい・せけんにおいては、たくさんの自己啓発本であったり、「運を上げる方法を書いた本」というものがある。
そして、こういうタイプの本を読んでみると、その根っこ・基礎・土台・前提条件にあるのであろう、視点・発想・かんがえかた・スタンスというものは、まさに、「ニンゲンは、ずのう・のうりょく・さいのう・知能がフツウであっても、運が良ければ、運を上げることができれば、成功したり、しあわせになることができる」というものかとおもわれる。
こういう視点・発想・かんがえかた・スタンスというものが、ホントウにただしいのかどうかは、しょうじきなところ、よくわからない。こういうことを、チャント証明することはできそうにない。
だがしかし、こういう視点・発想・かんがえかた・スタンスというものを、一定数以上のニンゲンが信じているからこそ、たくさんの自己啓発本であったり、「運を上げる方法を書いた本」というものが売れており、そんざいしているかとおもわれる。
ということであれば、ハッキリと証明することはできないにしても、「たくさんのニンゲンが、こういう視点・発想・かんがえかた・スタンスを信じている」という点・じじつを、キチンと踏まえるのであれば、「ニンゲンは、ずのう・のうりょく・さいのう・知能よりも、運のほうが重要・たいせつだ」という意見を、カンゼンに無視するべきではないのかもしれない。
つまり、おカネ・ろうりょく・手間がかからないモノであれば、「運を上げるための方法」というものを、ためしてみるのも手かとおもわれる。
効果・成果・結果というものが、チャントでるかどうかはわからないのであるが、タダであり、手がるにできることであれば、やってみたほうがよさそうである。
なにせ、たとえ成果・効果・結果がでなかったとしても、タダであり、かつカンタンに、すぐにやれることであれば、ひがい・そんがいがなく、支障はないのだから。
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