仙台からの手紙
前回、恩師への手紙について
noteに書いた。
実は【手紙】の良さに気づかせてくれた
大切な手紙がある。
突然、ポストに入っていた
優しい花柄の封筒。
送り主を見て、私はすぐに封を開けた。
私は、20代後半、
一年弱だけ仙台で一人暮らしをしていた。
当時はアパレルで婦人服の販売職。
後輩と切磋琢磨しながら
お客様に喜んでもらい、結果がついてきて
仕事が楽しくて仕方なかった。
新店舗オープンのスタッフ募集に
自ら手を挙げ、
縁もゆかりも無い
仙台の地へ店長として飛び込んだ。
まだまだ未熟だった自分の実力を
完全に過信していた。
飛び込んではみたものの、
何もできない無力さに撃沈。
オープンしてからは売上は伸びない、
レイアウトは本部からダメ出しの日々。
細かい事務作業もままならず、
迷惑をかけてばかり。
大好きだった接客もわからなくなった。
何をやっても空回りしていた。
その頃一緒に働いていたのが
手紙をくれた当時の同僚だ。
彼女は副店長。
仙台採用のメンバーと
私との間を繋いでくれる存在。
だが、
私はプレッシャーを与えるばかりで
彼女を追いつめていたと思う。
私も当時はいっぱいいっぱいで
余裕がなくて、
彼女の想いを汲み取ってあげることが
できなかった。
本当に申し訳ない。
彼女はとても優しい人だ。
私の一人暮らしのマンションと
彼女の家が近くて、
おかずをいただいたことがあった。
はらこ飯を教えてもらったり、
休みの日に、仙台の街を案内してくれた
こともあった。
彼女が私の一人暮らしを支えてくれた
ことは間違いない。
私は配属から一年も経たぬタイミングで
東京に戻るように辞令が出た。
完全に実力不足。
わかっていた。
でも悔しくて情けなくて。
あれが社会人人生における
最大の挫折。
お世話になった仙台の皆さんに
どんな挨拶をして戻ったのか、
覚えていない。
多分、感謝の1割も伝えられていない。
そして、2011年。
東日本大震災が起きた。
私は実家に戻って、
社会人生活を続けていた。
会社で被災し、一晩過ごし、
翌日なんとか帰宅した。
数日後、彼女からの連絡がきた。
仙台の被災の状況。
想像以上だった。
大好きだった仙台の周りで
起きていること。
テレビ越しじゃない、
そこに生きている人の声。
被災の現実が伝わると同時に、
彼女が私を頼ってくれたことが
心から嬉しかった。
友人に声をかけ、洋服などを中心に
送った。
それから、彼女は何度も丁寧に
お礼を伝えてくれた。
節目のたびに。
震災から10年のときにも。
私はそのたびに涙が出た。
友人や家族に、
彼女の優しさを伝えてきた。
そうやって支えてもらいながら、
一人暮らしをしてきたんだよと。
そして、私が彼女と出会った
アパレルの仕事を辞めた時にくれたのが
前述の手紙だ。
文章から彼女の優しさが溢れていて、
やっぱり涙が出た。
ずっと、私のことを
気にかけてくれていたんだなと。
きっと、
辛い想いをたくさんさせてきたのに、
そんなことじゃなくて
私にあててくれた言葉のひとつひとつが
温かかった。
私は彼女に返事を送るまでに
かなりの月日が経ってしまった。
それは、未だに直らない
自分のルーズさからくるもので
変わらない自分が情けない。
お互い新しい人生を歩みだしていて、
会いたいなって思えて。
それだけで、本当に素敵だなと。
色んなことがあった仕事だけど、
仙台へ行き、未熟なりに挑戦したこと、
彼女と出会ったこと、
それは私が誇りに思って
いいんじゃないかなと。
絶対に今度こそ、
私は仙台にいきます。
ずっとずっと、
仙台も
一緒に働いたメンバーも
大好きなままだから。
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