そんなつもりはないんだろうけど、最近ちょっとモヤっとした話。
先日、とある学校の自己推薦入試の結果が出た。
この自己推薦入試、今年から始まった試験なんだけど、1次試験が出願時に提出のエントリーシート(と評定だけ入った調査書)での審査で、2次試験がグループワークと作文、面接の試験。今回は1次試験の結果が出たところなんですが、その結果を見て「はて?」と思ったことがあったので、ちょっとネットの海に流してみたいと思います。
今回、1次試験の合格率が約48%だったんですが、男女別の出願者数と合格者数が合わせて載っておりまして、それを元に計算すると、男子が42%なのに対し、女子が75%の合格率だったんですね。
それを見た私、あれ? これ、おかしくない? と思ってしまったんですよ。
本当に素直にエントリーシートだけで判断したんだろうな、と思うんですが、それにしても女子の合格率高くない? きっと女子の方が志が高くて、求める生徒像に合致していたのかもしれないけれど、だとしてもこれは偏りすぎでは?
と、思ってしまいました。
そんなことを考えてしまうのは、私が学生時代に「アファーマティブ・アクション」という言葉を教えていただいたからかもしれないです。
アファーマティブ・アクションとはこちら↓
アファーマティブ・アクション(積極的格差是正措置、肯定的措置、英語: affirmative action)とは、民族・人種・性別などによる差別に苦しむ社会的弱者の不利な現状を、歴史的経緯や社会環境を鑑みた上で是正するための積極的な改善措置を表す。1960年代より主に欧米において行われてきたが、他の地域における施策も同様に呼称する。この語は1961年にジョン・F・ケネディ米大統領が大統領令において初めて使用した。
Wikipediaの引用でごめんね。
このアファーマティブ・アクションによって、たしかに歴史的に差別を受けてきた多くの人々が救われてきた事実がある。
だけれども、このアファーマティブ・アクションが「正しいもの」かと問われれば、そうではないと私は思う。
たとえば、最近女性の社会参画を図るために会社の中の重要なポストに就く女性の割合を増やそうと努力している企業がある。実際、積極的に女性を役職に就けている企業もあると聞く。でも「まだ○割に満たないから」という理由だけで女性をそのポストに就けるのは間違っていると思う。
それは、何より頑張っている女性に失礼だ、とさえ私は思う。
「女性だから」だけで選ばれても嬉しくない。ちゃんと選ばれたい。私の頑張りや実績だけで判断してほしい。
そして、同じように頑張っている男性にも失礼だ。
「男性はいらない」とさえ言われているように感じてしまうのではないか、と思う。
アファーマティブ・アクションは「差別を受けている人」と「そうではない人」に分けているではないか。それは果たして真の「積極的な」差別解消の手段なのだろうか。
そんなことを私は大学の時に思った。
そんなわけで、今回の某学校の合格発表を見た時に「男女でここまで合格率違うのおかしくない?」と思ってしまった背景でした。
学校側としてはそんなつもりないのかもしれないけれど、少なくとも「男女別」の合格者数出す必要あったかしら? と思います。
最近、ジェンダー論とかLGBTQ+の話とかで「男子だから」とか「女子だから」とかって区別することもなくなってきたのに、なんて前時代的なんだろうなって思いました。
ま、こんなことを思う私の思考が跳躍しすぎかもしれませんが、なんかモヤっとしたのでした。
おしまい。