見出し画像

武術的身体を追い求めて 第三段

皆様お疲れ様です🙇‍♂️

今回も刺さる人には刺さる系の投稿をしていきます。マニアックにも程がある。だがコアでマニアックのほうが専門性がありその人にとって有益な情報を共有できるからそのほうがずっといい。


稽古内容の報告と最後に不思議な経験、
体験談をまとめました
ので最後までご覧下さい!




稽古内容の報告


まず始めに、私の基本稽古は居合の型の一人稽古。
型の名前や詳しい詳細は、その流派の門弟ではないので基本的に伏せます。門弟でもない者が気安く語ってはいけないものだと強く認識しております。

なので一人稽古から得られた効果を書いていこうと思います。ご理解の程、宜しくお願い致します。




居合腰の素振り 合計2,400回



報告するほどでもないくらいに少ない回数で
恥ずかいが自分にとってはそれほどに厳しい稽古
なのだと位置付けております。

腰は膝と同じ高さ、それ以下の厳しさで稽古する。
左半身になり右前足はカカトを少し浮かせ左足は
股関節を内側に絞るように、または畳むようにして
前足と方向を揃える。母指球が一直線上に重なるよう心がける。この体勢だけでもふらついて転ぶ人もいるくらいの状態。

繰り返し稽古をしていると太ももの張りが次第に変化していきます。はじめはもも前、次にもも裏が
張ってキツくなってきます。楽をしようとして
身体の力みを抜くように稽古をすると身体が理解
してくれます。間違っても腰を上げてはいけません。筋肉痛になった状態で稽古しても痛くなければ武術的身体に一歩近づけたと確信して良いと思います。


手の内や木刀を振る運用方法は
省略させて頂きます。まだ完全に感覚を掴んでいないので中途半端に文字に起こして表現してはいけないと判断しました。分かり次第報告致します。



居合の型 稽古回数

・一之型  212本
・二之型  188本
・三之型  136本
・四之型  51本
・五之型  34本
・六之型  81本
・七之型  22本
・八之型  79本
・九之型  79本
・十之型  31本
・十一之型 21本


まず大前提として数を漠然とこなしたからといって
上達するものではないと強く認識しております。
ですが、一人稽古をする上で武術的身体を得る
ためには型しかないので沢山の数を抜かなければ
なりません。

特に一〜三までの型は基本となる型なので集中して稽古をしております。ただ、本気で集中してゆっくり丁寧にやると2本抜いただけで息が上がり次の動作に移れない状態になります。

型稽古をしていると、重心や呼吸が安定してくるのに気が付きはじめます。居合の座構えの状態から
筋肉を、足を使わずに立ち上がる感覚も出てきます

日にもよりますが、1日に5、6時間はやっていたと
思います。もちろん、休憩をはさみながら。

毎日やって変化が現れず、次第に稽古頻度が落ち
2日に一度、1週間に一度と肩を落としながら稽古をしていた3ヶ月目の時に私はそういった変化が起こりました。そこからは些細なことでも良いからメモをしてより詳細に記録に残すようにする意識で稽古をしておりました。


古人の言葉によれば
ひと型を一万本も抜けばいくらか格好になる。

とありますが一万本とは…
1日に数十本抜くのがやっとだというのに遥かに遠い道のりと隔絶感を抱く。始めた頃はただ楽しくて
稽古をしていたのにやっていく内に礼式をするようになりそれが習慣化され、今では祈るようにして刀礼をして稽古をしています。


「わがままな身体の操作で太刀(居合刀)を
扱うことをどうかお許し下さい。抜けて下さい。
どうか、宜しくお願い申し上げます」と……




居合の座構え 只管打坐(しかんたざ)


半分正座、半分あぐらをかいている状態と表現させて下さい。それが一番しっくりくる。
左足を折りたたみ、カカトを臀部の間へとしまう。
右足は左膝の約10cm前に右足のカカトがくるように
座る。右足のカカト、左膝、左足の甲の3点で身体を支えている為、これだけでもふらつきます。


ただただその状態で座る。四の五の言わずに座る。
安定、完全静止ができたら前方向に立ち上がる。
この繰り返しをする。


私の場合は立ち上がりの際に左側に身体が寄って
しまい正面を晒してブレてしまう。さらに膝、股関節にぶつかりながら立ち上がろうとするので当たりがでてしまい完全な2挙動になってしまう…


こちらも稽古を続けていくと変化が起こり
頭から糸で引っ張られるように浮き上がるように
なってきました。稽古を始めて4ヶ月経った頃です。
肩や肘が上がっていた状態から次第にムダな力は
捨ててリラックスもできるようになりました。


股関節、もも裏が柔らかくなってきて座っていても
股関節の詰まりを感じなくなりその状態で前傾後傾できるようになり、しなやかさが体現できて安心と共に嬉しさが込み上げてます。
より一層、稽古に励んでいきたいと思います。


究極はそこに居て居ない身体を目指しております。
矛盾とも言える相反する言葉で表現することしかできない武術の世界に少しでも届きたい…




蹴らずに歩く、足を消して歩く

ここ最近一番意識している稽古です。
歩くたびに意識する。その割には数分歩いただけで
身体が崩れていることに気がつく。本当に難しい…

床を蹴らず、左右に重心を移さず身体を捻らずに
歩く。簡単に説明せよと言われればこれでおしまいになる。これではあまりにも手掛かりがなさすぎる。

始めはゆっくりと歩いてみる。重心を左右に移さないように。歩幅を狭めて丁寧に。次第に呼吸が浅くなるのを認識して呼吸も止めないように意識する。

ゆっくり歩けばなんとかなる。だがこの状態では
日常生活の中に落とし込むことができない。稽古の時だけ意識するようでは全く実用性、技にならない


ここから私は稽古以外でも寝ている時以外はなるべく意識して歩くように心がけました。
いつから身体が変化し始めたか定かではありませんが、1日に1万8千歩を稽古の為に歩いた時があり
その時に一気に感覚を掴みました。


足が疲れてきた一万5千歩あたりから疲れないような
歩き方を考えながら模索していると、足が地面を滑っている感覚になりました。床を蹴らない歩きと言うのは股関節、膝を緩めるのは周知の事実だと思いますが、身体を軽く倒して、膝から下を諦めるように捨てると勝手に歩き始める状態になりました。


稽古は質が大事と心がけていたが、それと同時に
量も同じくらい重要であると気付かされた1日でした





不思議な体験

母は不思議な力を持っている。
いきなり突拍子もないことを言うが事実としてある


霊やオーラが視えるとか、人の思いや感情を遠く離れたところから受け取る(受信?)ことができる。
スピリチュアル的な力という認識で構わない。

私が中学生の頃、腰痛になった瞬間を母は居合わせている。自転車のタイヤに空気を入れていた際、
ポンプを腰を入れて手で押した時に、腰に痛みが
走りましたが特に気に留めていませんでした。

ですが母視点からは異様な光景だったと言います。
背中(腰椎1〜5番目)から赤いオーラが上下に吹き出しながら渦を巻いていたと言うのです。
そこから私は腰痛持ちになり(現在はほぼ完治)激しい運動をすると痛みが出る生活を送ってました…


そんな母がある日、サウナ帰りの私を見て一言、
「おぉ、軽いね、まるで首から下がないみたいに軽い。体重を感じない。頭だけが浮いているのかと思った。」と驚いていた。そんなにも変わるのかとも言っていた。


この一言は実際に武術の世界であり、
首から下がない状態、そこに居て居ない身体が最高で至高なのだと。斬るべきところがない状態…

武術を全く知らない、ましてや伝えたこともない
表現を修行中の私に向かって言ってくれた…
人生で一番嬉しい瞬間であった。他の人が言ったのではなく、母が言うから大変意味がある。

その後は調子に乗りサウナに行っては
身体を整え意気揚々と母にどうだと見せるも
「あの時の5分の1程しか軽くない」
としか言われない。伸びきった鼻をへし折られるのである。ならばと身体を整えるメソッドを何重にも掛けてから母に見せると今度は「身体が重くなって地面に根が生えてるみたいに地に足がついている」
と言われた。身体と整えるのにも作用や種類があるのかとそこで気づいた。


思い返すとその日は友人とサウナに行っており
そこでも不思議な現象が起きていた。

サウナ上がりの友人と自販機で飲み物を購入していた時、友人の真横に並んで見ていた。私が数歩下がり別のところへ移動したら、友人の驚く声が聞こえました。理由を聞くと隣りに居ると思って話しかけたらいつの間にかそこに居なかったと…


サウナでしか得られない身体の軽さがある…



母は人をみる目がある。見え過ぎるのである。
そして父は母よりも見えている……


武術家でもなんでもない、ただの一般の民間人だが
どうやら普通の一般家庭ではない気がしてきた。


だがこれでいい、これがいいのだ。
両親が亡くなる前に沢山の物を受け継がなければならない。人間性や行動力、色んな意味で私が持っていない物を持っている。武術と関係がないと思うかもしれないが、ここも稽古の一環だと思って今後も頑張りたいと思います。



最後までお付き合い頂きありがとうございました。
次回もお楽しみにして下さい!またね🤭✨️



#武術 #健康 #居合 #稽古



いいなと思ったら応援しよう!