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【母ちゃんと2人】明日の明朝〜私が防災について書く理由〜

皆様、こんばんは!
明日17日であの阪神大震災から30年が経ちます。
私は神戸生まれ神戸育ち。
が故のnoteに書く「理由」があります。

▶︎30年前の05時46分
私はまだ高校三年生。当時は神戸市垂水区という、到底神戸とは思えない田舎に住んでいました。
親が離婚し、母親と私の2人暮らし。
前日の夕食の際、母ちゃんはまだ仕事で、1人で夕食を食べていた時、「グラっ」とひと揺れ。
あ?地震?っと思いつつ、一瞬だったので、そのまま日常へ。

母ちゃんが帰って来て、「お疲れ!」と声をかけ、自分はそのまま部屋に籠る。
いつもと同じ様にお気に入りの長渕さんのCDを聴きながらヤングマガジンを読む。
いつもと同じ様に眠気が遅いそのまま目を瞑った。

夢を見たかどうかは覚えていない。5時46分、いきなりの衝撃が起こった。
家が崩れるほどの衝撃で目が覚め、部屋を見ると部屋の端から端へ、お気に入りのテレビデオがダンスしている。
それ以外にも棚に陳列していたCDのコレクションや、ドラゴンボール全巻、その他。
部屋にある全てがダンスホール状態。

それを見て、最初は何なのか理解が出来なかった。すぐに布団に入り込み、「夢なのか現実なのか理解が出来ないまま」ただただやり過ごした。
ここまで、発生後、恐らく30秒くらいの出来事。

まだまだ揺れる。大きな地響きと共に。

それはもう地獄と言っても許されるだろう。※地獄は見た事ないが。多分こんな感じ。

揺れが少し緩くなりはじめた時、私の脳裏にすぐ出て来たのが母親の存在。

母親1人で育ててくれた母ちゃんがまさに自分の部屋の下で寝ている。

絶対に助けなければならない。
絶対に。


一旦、ここまで。PTSDなのか、阪神大震災を語ると一気に語れないです。本当に色々ありましたから。

続きは明日書きます。

中途半端な書き方でごめんなさい。読者狙いではありません。

ここまで読んで下さってありがとうございます。

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