10年という絶望と希望【当事者体験】
10年で新しいスタートラインへ
1. 望んで受けた発達障がいの告知と診断
なっつんは約10年前の20歳の時に発達障がいの専門のクリニックを受診して、広汎性発達障害のグレーゾーンという告知を受けました。
20歳の時に発達障がい者の仲間入りをしたわけです。もともとセルフチェックをして、ASD(自閉スペクトラム症)であるという確信があって受診しました。
もっと言えば、診断を望んでいました。
自己診断というあいまいなものではなく、医師のお墨付きが欲しかったのです。
2. 頭でわかっても心は拒否をし続ける
望んで受けた精神科の受診と発達障がいの告知でした。
しかし、実際は頭でも実感でも自分が発達障がい者であると思っているのにもかかわらず、気持ちは全くつい来ず、ちぐはぐでした。
発達障がい者であるに違いないという自分と、本当は障がいなんて言う重いものはないのではないか、そんなハンディキャップはないならいいのに、という気持ちが心の中で渦巻いていました。
いわゆる、障がい受容に直面したのです。
3. 「10年」が絶望でもあり希望でもあった
学生であったため、障がい受容に直面をしながら、障がい者枠での就職活動をしていました。
障がい者として働く以上、一定以上の障がい受容は必要になります。
その障がい受容でもがき苦しんでいるとき、なっつんを担当した相談員から「障がい受容は10年くらいかかる」と言われました。
なっつんにとって、就職活動という期限が目の前にある中では絶望にも近い一言であると同時に、人生という大きな旅路で考えると希望を持つことができた一言でした。
4. 体験しないとわからない難しさ
障がい受容はとても難しいものです。
どのくらい難しいかといえば、余命宣告を受け入れる過程のモデルが障がい受容に応用されるほどです。
なっつんが障がい受容の真っただ中にいるとき、同じ社会福祉の学生だった同級生は、簡単に障がい受容という言葉を口にしていました。
しかし、障がい受容は、死を受け入れるのに近しい経過を辿るものです。
当時のなっつんは障がい受容について「障がい受容は悟りを開くようなものだ」と感じていました。
感覚的にはほぼ不可能に近いものだと感じていたのです。
しかし、「10年」という言葉は、障がい受容が不可能でないこと、10年かければその後はできることが大きく増える希望の言葉だったのです。
5. 10年後の現在
障がいの告知から10年だった現在、以前相談員が教えてくれた「10年」がその通りになりました。
その10年間で何度も失敗しては回復し失敗しては回復しを繰り返してきました。それを繰り返し少しずつ良くなっていったのです。
その失敗と回復は自分自身と向き合い受け入れるために大切な時間でした。
その甲斐あって現在は障がい受容の状態は非常に安定しており、生活も安定しています。
そして、安定した所からしっかりとした足場がある状態で次へのステップを踏もうとチャレンジできるようになりました。
もし、あの時の相談員さんに会えるなら「10年」を教えてくれたことに感謝を伝えたいですね。
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