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なにも見えないときには、黒を塗る

みんな、いつも同じことをしている。
何をやってもかまわないのに、
何がそれを妨げているのか。

「ピカソの言葉」山口路子 26p

理想的な気づきを待とうとしないほうがいい。
今できる方法で、試行錯誤しながら、とにかく始めてみるべきだ。

ーヨーゼフ・ボイス(アーティスト)
「アートシンキング」エイミー・ウィテカー

芸術と爆発と、画家ピカソ

テクニック(技術)は必要だが、
重要なのは完全にそれを身につけることだ。
半端ではなく完全に身につければ、
それを意識しなくなる。
そのときはじめて、テクニックが活きる。

「ピカソの言葉」山口路子 94p

ピカソは、画家だった。91歳まで生きたピカソは、1万3,500点の絵画作品、10万点の版画作品、3万4,000点の本の挿絵など、300点の彫刻と陶器作品で、計14万7,800点もの作品をつくったという。

わたしは子どもらしい絵を描いたことがなかった。
子どものころからラファエロのような絵を描いていたからね。
子どものような絵を描けるようになるまで一生かかったよ。

「ピカソの言葉」山口路子 66p

幼い頃から、観察眼に優れ高いドローイングスキルを持っていた彼は、10代後半には「ラファエロのような」美しい油絵を描いていた。ブラックの画法を盗みその様式をさらに高みへぶん殴るようなキュビズムを代表する画家になり、晩年ようやく「こどものような絵が描けるようになった」と喜んだという。

ピカソは、多くの女性と恋をして愛し愛され奔放かつ熱烈に描き、最後死ぬまで制作を続けた。

誰かはそれを狂気と呼んだかもしれない。芸術は爆発なのだ。

わたしは矛盾だらけの人間だ。
愛すると同時に、破壊してしまおうとする激しい感情を抱く。

「ピカソの言葉」山口路子 114p

自然のなかに隠れているピュシスの働きをあらわにする行為である芸術

自然と人間が一体になるところに本当の神聖感がある

岡本 太郎

狂気の芸術家でもある母かのこから生まれた岡本太郎は、ピカソに憧れフランスパリへ留学した。太郎は、パリで美術のほか哲学と文化人類学、民族学を学び、その後日本の風土を歩いてまわったりもした。

ピュシス〈ギリシャ語〉physis
《自然の意》人間の主観を離れて独立に存在し、変化する現象の根底をなす永遠に真なるもの。古代ギリシャの哲学者たちが神話的世界観から脱却したとき、最初の主題になった。

デジタル大辞泉

"人間が自由を手にするために獲得した言葉の力=「ロゴス」と、
生命の本来のあり方である自然=「ピュシス」。

進化生物学者のリチャード・ドーキンスが提唱する「利己的な遺伝子」論に代表されるように、生物の唯一無二の目的は「交配し、繁殖する」ことであり、その観点から見れば、個体はそのための乗り物にすぎない。”

嗜好品は「ロゴスとピュシスのあいだ」をつなぐ:生物学者・福岡伸一

アルス(ars)はラテン語で、「技術」「学芸」「技術知」などの意味を持ち、英語では「アート(art)」に相当します。

アルスは、ギリシャ語の「テクネー(technê)」に相当し、本来は芸術というよりは人間の技や技術を意味する言葉でした。

Search Labs | AI による概要「アルス 語源」


アルスは技術であり英語のアートの語源ともいうが、アートのいうところにおける技術は、まるでスポーツのように身体性に依存しており、無自覚になるまで意識的な反復に反復を重ね、遂に意識から離れるころ、ようやく「テクニック(技術)」が体現される。人間の技は、反復運動がもたらす。

《生命の樹》は全体がひとつの“生命体”なんだ。

岡本 太郎

”昆虫や魚は何千個も卵を産み、何千もの幼虫や幼魚が孵るわけですが、大半はのたれ死んでしまう。でも、そのうちほんの数匹がうまくパートナーを見つけて、次の世代へとバトンをつないでくれさえすれば、遺伝子にとっては何の問題もない。「個」は「種」を存続するためのツールでしかなく、個々の生命に大きな価値はないというのが、生命にまつわる残酷な実態なんです。

しかし、人間だけがその遺伝子の企みに気づき、「それはちょっとおかしいのではないか」と考えることができました。もちろん、この企みから完全に自由になることはできませんが、「必ずしもそれに従わなくても生きていけるんだ」と、少しだけ相対化することができた。「遺伝子の企みから自由に生きていいんだ」ということに初めて気がついた生物が人間であり、そのことが「種」ではなく「個」としての生命の価値、ひいては現代の人間を人間たらしめている「基本的人権」を生み出しました。「産めよ、殖やせよ」という遺伝子の命令に従わなくても、自由に個体としての生を全うしていいというのが、人間が長い進化の末に勝ち得たパラダイムなのです。"

嗜好品は「ロゴスとピュシスのあいだ」をつなぐ:生物学者・福岡伸一

矛盾のなかで純粋を求め続けたピカソにとっての「自然」とはなんだろう
絵の技術と、純粋。

わたしが子どものころ、母はこう言った。
「兵士になれば、おまえは将軍になるだろう。
 修道士になれば、いずれローマ法王になるだろう。」
わたしは画家の道を歩み、ピカソとなった。

「ピカソの言葉」山口路子 64p

没頭は、時に精神を喰らう。芸術は時に、人そのものに覆い被さり、魂を奪い去る。肉体による芸術すなわち技術は、意識を離れたときにようやく効力を発揮するためだ。技術から目を逸らし、正しい反復の道を誤ると、芸術ではないところで起きる関係性に心がくらみ、人は安易に狂気に落ちる。嫉妬し、憎悪し、喪失感に恐怖する。精神は、魂もしくは運命に翻弄されていく。

エゴと技術は複雑性を含んでいる。

人生に挑み、ほんとうに生きるには、瞬間瞬間に新しく生まれかわって運命をひらくのだ。それには心身ともに無一物、無条件でなければならない。捨てれば捨てるほど、命は分厚く、純粋にふくらんでくる。

今までの自分なんか蹴トバシてやる。そのつもりで、ちょうどいい。

岡本 太郎

純粋無垢になりたいと、人を避け、ピカソの晩年まで描き続けた。
時にパンツ一枚の姿で。

息を吸うように道を極め、絵のテクニックを捨てていくことへ執念を燃やした画家ピカソは、いまもなお二十世紀美術の革命家と語り継がれている。

 古代におけるテクネーと芸術的ポイエシス

ポイエシス poiēsis
ひろく制作,生産を意味するギリシア語。机やベッドの制作も詩作も絵を描きだすことも同じくポイエシスであったが,プラトンやアリストテレスにおいてこの語はとくに詩作,あるいは詩作の技,術を意味するようになる。なおできあがった作品としての詩はpoiēma(英語ではpoem)と呼ばれる。またアリストテレスには詩作の技を示す特別の用語としてpoiētikēがあるが,それはpoiētikē technēの略語である。


改訂新版 世界大百科事典(執筆者:斎藤 忍随)

技術をあらわすテクノロジーという言葉は、ギリシャ語の「テクネー」がもとになっている。だが、このテクネーという言葉は、私たちが今日テクノロジーという言葉で表現しようとしているのよりも、はるかに深く、また広い内容をあらわそうとしていた、とハイデッカーは語る。この言葉のもっている深いつながりのある言葉を探しだしてきて、おたがいのあいだのちがいや距離や同一性を正確に測定する作業から、はじめてみる必要がある。

まずテクネーは、古典ギリシャでは、アレテイアという言葉と、ごく近いところにあると考えられていた。アレテイアは「隠れてあること、隠れてあるもの=レティア」を「否定する=ア」という意味をもった言葉だ。つまり、隠れている事物をあらわにするというわけだから、これはとうぜん隠されてある真理をあらわにしようとする哲学や、自然のなかに隠れているピュシスの働きをあらわにする行為である芸術などとも、深いつながりのある言葉だということがわかる。テクネーは、このアレテイアに全面的なかかわりをもっているのである。

テクネーは、隠れてあるものをあらわにあばく、隠されてあるものを出で来たらす、ような行為の全体性をさす言葉なのである。それはたんに、職人のたくみな腕前や手の技やじょうずに考案された道具類をあらわにしているのではない。職人の手技や道具などを媒介にして、人間は「テクネー」することをつうじて、なにか隠されたものをあらわなものに出で来たらせようとするのだ。

(中略)

テクネーとは、プロセスなのだ。それは、あらわれでてこようとして、いまだ隠されてあるものやことを、私たちの生きている世界のなかに出でー来たらす行為のプロセスの全体性をさしている。技術史は、このプロセスとしての技術の全体をみすえた歴史のディスクールでなければならない。それと同時に、技術はいつも「アレテイア」にかかわりをもっている。ほかのすべての行為とのつながりのなかで、考えられなければならない。こうして、技術はその本性がまさに「テクネー」であることによって、芸術や哲学や宗教や自然のプロセスとの本質的なつながりを、深いレベルでもういちどとりもどすことができるようになる。

たとえば、技術と芸術のつながりが再発見される。芸術は、テクネーである技術とはすこしちがったやりかたで、やはり隠れてあるものをあらわにするプロセスだからだ。古代ギリシア人にとっての芸術は、いつも自然のプロセスとの深いつながりのなかで考えられていた(ここが、キリスト教イコンにはじまる、西のヨーロッパにおける芸術とちがうところだ)。これらは芸術がテクネーよりも、「ポリエシス」といういものに近い行為だという、直感をもっていた。ポイエシスは自然のプロセスをあらわす言葉だ。ちいさな種から植物が成長し、その技に季節ともなれば花が咲く。そのプロセスにおいて、ポイエシスが働いていることを、彼らはいきいきと感じとっていたのだ。ポイエイスもアレテイアの一種として、隠れてあるものがあらわに開かれてくることをさしている。花が咲くとき、花のなかにあって出てー来るべきものとしてまだ隠されてあったものが、あらわに開かれるのだ。芸術もそうだ、と彼らは考えた。芸術家や職人の技は、自然の素材のなかに隠れてあるものを、打ち開かせるプロセスにほかならないからだ。植物の開花と芸術家や職人の行為のあいだになにか違いのようなものが存在するとすれば、植物の場合には、隠れてあるものを出でー来たら打ち開きの力を、植物が自分のなかにもっているのにたいして、芸術的ポイエシスにあっては、その打ち開き方の力が芸術家や職人のなかに見いだされることになる、という点にある。

芸術もテクネーである技術と同じように非=隠蔽性を、じぶんの本性としている。ただ、芸術はそれをおこなうのに、自然(ピュシス)にみずからそなわった「自己を越え出ていこうとする働き」に謙虚にしたがいながら、それをおこなおうとする。ところが、技術はそういうポイエシスの優しい行為にいどみかかっていくような、ちょっと危険な要素をもともと秘めもっているのだ。技術は、自然を挑発するのだ。自然を挑発し、そのなかに隠されてあるものを、むりやり立ち上がらせて、胸元にひらいた自然のなかから有用な力をひきだすための体系を組織しようとする。技術には、芸術や哲学といった同じアレテイアの行為でありながら、いつしかはじめにあった自然にたいする謙虚さを失って、システマティックな挑発と立ち上がった力の組織化にむかって、自律的な運動をおこすようになる、逸脱のモメントがひそかにしまいこまれてあるのだ。

技術の歴史を考えるためには、はじめテクネーとして生まれたその本性についての、こういう叡智的な認識を、いつもベースにすえておく必要がある。そうでないと、すぐに単純な技術オプティミズムや、ヒステリックな技術否定論におちいってしまうからだ。人間にとって、技術はきわめてパラドキシカルな存在だ。それはいっぽうで、テクネーを生みの親とするものとして、真理の領域と自然のポイエシスの領域とに、ともども深いかかわりをもっている。それは、自然のなかに隠されてあるものをあらわにする、創造的なプロセスにほかならない。しかし、同時にそれは、自然にたいして挑発をおこなう(そのやりかたは、資本主義という経済システムが人間にたいしておこなっているやりかたと、本質的に同じものである)。そして挑発としての技術がみずからの組織化をおこなって、自律的な運動をおこしはじめるようになるとき、それは地球環境と人間の精神に、致命的な危機さえつくりだしていくようになるだろう。

「ゲーテの耳」中沢 新一 200-204p

中沢 新一(なかざわ しんいち、1950年5月28日 - )は、日本の宗教史学者・文化人類学者。 千葉工業大学日本文化再生研究センター所長。京都大学こころの未来研究センター特任教授。秋田公立美術大学客員教授。

チベット密教と構造主義をつなげた『チベットのモーツァルト』(1984年)が、斬新な切り口で話題になる。現代思想界の代表格として活躍。著書に『森のバロック』(1992年)、『野生の科学』(2012年)など。

クロード・レヴィ=ストロース、フィリップ・デスコーラ、ジャック・ラカン、ジル・ドゥルーズ等の影響を受けた現代人類学と、南方熊楠、折口信夫、田邊元、網野善彦等による日本列島の民俗学・思想・歴史研究、さらに自身の長期的な修行体験に基づくチベット仏教の思想研究などを総合した独自の学問「対称性人類学」を提唱する。

2011年の東日本大震災以降は、エネルギー問題、現代における政治参加の問題についても思考しており、実践的な活動として2013年には「グリーンアクティブ」を設立した。

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マルティン・ハイデッガー(ドイツ語: Martin Heidegger, 1889年9月26日 - 1976年5月26日)は、ドイツの哲学者。ハイデガーとも表記される。フライブルク大学入学当初はキリスト教神学を研究し、フランツ・ブレンターノや現象学のフッサールの他、ライプニッツ、カント、そしてヘーゲルなどのドイツ観念論やキェルケゴールやニーチェらの実存主義に強い影響を受け、アリストテレスやヘラクレイトスなどの古代ギリシア哲学の解釈などを通じて独自の存在論哲学を展開した。1927年の主著『存在と時間』で存在論的解釈学により伝統的な形而上学の解体を試み、「存在の問い(die Seinsfrage)」を新しく打ち立てる事にその努力が向けられた。ヘルダーリンやトラークルの詩についての研究でも知られる。20世紀大陸哲学の潮流における最も重要な哲学者の一人とされる。その多岐に渡る成果は、ヨーロッパだけでなく、日本やラテンアメリカなど広範囲にわたって影響力を及ぼした。1930年代にナチスへ加担したこともたびたび論争を起こしている。

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参考

書籍

・「ピカソの言葉」山口 路子
・「パブロ・ピカソ画集」
・「マイ・グランパパ、ピカソ」マリーナ・ピカソ
・「自分の中に毒を持て」「壁を破る言葉」「強く生きる言葉」岡本 太郎
・「ゲーテの耳」中沢 新一

WEB

嗜好品は「ロゴスとピュシスのあいだ」をつなぐ:生物学者・福岡伸一

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