『喫茶去』お茶を飲みながら、恩師の言葉
『喫茶去(きっさこ)』
まあ、お茶でも飲んで行きなさい。禅の言葉で叱咤でもあり、お楽になさいという意味もあるという。
先月、母校の後輩と恩師を訪ねた。
学生時代は随分反抗もした。家庭環境の変化や同居していた大切な祖母の死が続き、いま思えば多感な時期だったのかもしれない。そんな時代もありましたね、と申し訳ない気持ちになりながら、あらためて「教育」は時間と共にゆっくりと浸透するのだなぁとお茶を飲んだ。現代アートの内面を晒すようなハードな課題や前衛的なアートは、わたしには刺激が強かったけれど、彫刻や宗教、自然を扱う作品づくり、古今東西の突飛な思想や哲学を含んだ膨大な知識は、血肉のように身体の奥に眠っている。
先生のアトリエは、植物や羊毛とたくさんのアートに溢れていた。学生時代に友人たちとつくった見返り美人の屏風もまだ持っていてくれて、懐かしくなってしまった。6枚を6人それぞれの模写ともいえぬ模写を並べて屏風にした見返り美人。おもいがけない思い出に遭遇した、嬉しい。
作家として作品づくりに励む先生の暮らしは、とても素敵で活き活きしていた。フランクに日々訪れる卒業生や、地域の人たちとの交流、友人・知人・家族との暮らしをアトリエのカケラから想像してみる。当時よくわからなかった大人の世界や仕事の偉大さと一緒に。わたしもいい年齢になってきたものです……
まだまだ、まだまだ。長い、長いなぁ。
さあ、お茶でも飲みながら。
「ゆっくりみんなで歩くと遠くまで行けるんだよ。」
はじめて母校の校舎を訪れたのは、真っ赤な紅葉とぼたんのように降る初雪が舞う、秋と冬が混ざり合った日だった。
いつか背中のひとつになれるくらいになれるだろうか。
まだまだ、まだまだ。
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