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場と藝術
「ことば」の語源は諸説あるそうで、奈良時代以降に生まれた「ことのは(言の葉)」、「こと(言)」と「は(端)」の複合語です。
「こと」には「事」と同じ意味があり、古代社会では口に出した「こと(言)」はそのまま「こと(事実・事柄)」を意味していました。そのため、「こと」は事実にもなり得る重い意味を持つようになりました。
「こと」として発せられた「こと」でも事実を伴わない軽い意味をもたせようと「端」を加えて「言の端」「ことば」になったと考えられています。古語の「ことば」は口先だけの表現、言語のはしくれという意味合いでも使われていたようです。
1. コトハ(言端)の義〔名言通・大言海〕
2. コトノハ(言葉)の義。ハ(葉)は言詞の繁く栄えることをいう〔和訓栞〕
3. コト(事)から生じた語。葉は木によって特長があるように、話すことによって人が判別できるということから〔和句解〕
4. コトハ(心外吐)の義〔言元梯〕。
5. コトは「語」の入声Kot で、語る意。バは「話」の別音Pa の転〔日本語原考=与謝野寛〕。
まず、内村は言葉について次のように言う。 「言語は「ことば」(事端)なり、我に言はんと欲する事実ありて之を言ひ顕はすの語に 乏しからず。」
内村は「ことば」はもともと「事の端」を意味するという語源説を参照し、言葉と事物と のつながりを強調する。「コトバ」の語源には諸説あるが、その一つに、「コトバ」は 元々「コト」(言)と「ハ」(端)との複合語であり、「言の端」の意味だという説がある。
そして、「コト」(言)と「コト」(事)とは同じ起源を有する同じ「コト」でもある ので 、「言の端」は「事の端」だと言うこともできる 。
内村はこの「コトバ」の語源 を「事の端」とする語源説に言及することによって、言葉と実在とが本来的に同一の起源 を有するものであり、強いつながりを有していることを主張しているのである 。
渡 部 和 隆
端(はし)
「端」も「橋」や他の「はし」と同源で「間(はし)」、両岸の間を渡すものという意味でした。
場(ば、英: 「field」、工学分野では電界・磁界など「界」とも)とは、物理量を持つものの存在が、その近傍・周囲に連続的に影響を与えること、あるいはその影響を受けている状態にある空間のこと。
場
①ば。ところ。事が行われる所。「会場」「戦場」
②とき。おり。「場合」「急場」
③劇の一くぎり。ば。「一幕二場」
トポフィリア|人間と環境
ぼくの感覚ではトポフォリアは「懐かしさ」や「執着」や「フェチ」すら伴うものなのだ。しかもその「懐かしさ」は一瞬にして感知できるはずのものなのだ。
初版発行: 2021年10月
イーフー・トゥアン|トポフィリア|人間と環境
p30-31 部分抜粋
ミルチャ・エリアーデが、或る場所には「まったく異なった秩序に属する何か、われわれの世界には属さない何ものかの顕現がある」ということを宣言した。エピファニー(顕現)をおこすもの、それは場所がもっている何かによると説明した。
こうしてベルクソンを筆頭に、さまざまな場所についての蘊蓄(うんちく)や憧憬(しょうけい)を語る者があらわれた。しかし、そうした言述の多くは「場と心の関係」を解読しきれなかった。たとえば、ガブリエル・マルセルは「人間を場所から切り離して理解することはできない。人間は場所なのである」と言った。その通りだ。その通りだが、それなら動物のすべてにとっても、さらには植物のすべてにとっても、そして微生物のすべてにとっても、場所と存在とを切り離すことはできない。もとより場所は存在そのものなのだ。いや微生物ともなると極小の場所ごと移動可能にすらなっている。
ルネ・デュボスは「私は場所の正確な外見よりもその雰囲気のほうをおぼえている」と言う。おそらく誰もがそうであろう。われわれの知覚にはタテ・ヨコ・ナナメ・奥行では計測できない雰囲気についての知覚装置があるようなのだ。この「記憶に残りうる雰囲気」とはいったい何なのか。なぜわれわれは場所の雰囲気をおぼえられるのか、そこは突きとめれてはいない。
一方、ハイデカーはわれわれには場所に対する「慎み」がおこるのではないかと推測していた。「場所は人間の自由と実在性の奥深さを解くもので、それによって人間を位置づけている」としたのだが、これでは気分は香しいけれど、納得できるほどの説ではない。イマイチである。
そんななか、「空間の概念以前に、心理的により単純な場所の概念がある」と言ってのけたのは、意外なことにアインシュタインだった。ぼくはこの見方が一番当たっていると思ってきた。われわれは空間(space)よりも場所(place)に親和性をもってきたのだ。
場所にはその場所になるべき何かが備わっている。その場所からはきっと何かが醸成されているか、何かが放埒されている。その何かによって、そこは特別な場所になる。この「何か」はいまいましいことに、なかなかはっきりしないけれど、その場所に自分が愛着をもてたかどうかは、すぐわかる。誰もが「好きな場所」や「ヤバイ場所」ならいろいろ思い当たるのだ。
初版発行: 2021年10月
イーフー・トゥアン|トポフィリア|人間と環境
p25-26 部分抜粋
「場と心」をつなげる|art / ars
(中略)
場所に敏感なのは記念写真のときばかりではない。画家のフェルメールもダリも、北斎も広重も、プロの写真家のアンセル・アダムスも杉本博司も格別の場所を選んできた。それはアングル(angle:視角)やヴィスタ(vista:景観)やシーン(scene:場所)でもあったが、これらのもっと奥にあるトポス(topos)そのものの選択であった。
アートはトポスとの出会いで生まれるのである。すでにショーヴェやアルタミラの洞窟壁画がそのようにして生まれ、レオナルド・ダ・ヴィンチの空気遠近法がトポグラフィックに生まれ、水墨山水画がまさしくアングル、ヴィスタ、シーンの「三遠」の描出(びょうしゅつ)から生まれた。それだけではない。建築も写真も映画もテレビもそうやって生まれて行ったのだ。
(中略)
場所に対する特別な愛着感覚のことを、地理学者のイーフー・トゥアンは「トポフィリア」(topophilia)と名付けた。造語である。「場所愛」といった意味だけれど、そのままトポフィリアと言う言葉で使ったほうがいい。
トポス(場所・場所性・場所力)とフィリア(偏愛性・関与力)を重ね合わせたのは、まさに「場と心」をつなげるためにほしかった待望の概念重合だが、こういうことを試みたのはトゥアンが初めてではない。すでにガストン・バシュラールが先駆的な名著 『空間の詩学』(一九五七)のなかで「トポフィリ」(場所への愛)という用語を使っていた。バシュラールは「地形分析(トポアナリーズ)にはトポフィリのしるしがある」と書いた。トゥアンはそれを援用したにちがいない。
なぜトポフィリアなのかといえば、トポスは世界のどこかに外在する場所のこと、フィリアはわれわれの気分や意識のどこかで内在する動向なのである。その外なるトポスが内なるフィリアに結びついた。このように場所と気分が結びついた状態がトポフィリアなのである。
初版発行: 2021年10月
イーフー・トゥアン|トポフィリア|人間と環境
p26-28 部分抜粋
「場」とは、つまるところなんなのだろう?
トポス・トピカ・フィリア
ギリシア語のトポス(topos)は場所のことである。たんなる物理的なスペースや空き地のことをあらわしていなかった。トポスは何かで換起される場所をさす。もっと大きな空間のことはコーラ(khora)と呼んでいた。コーラは構成要素をもつ空間で、トポスが場所だった。記憶に結びつくのはコーラにひそむトポスなのである。
そこで、プラトンやアリストテレスからセネカをへてクルティウスらのラテン文芸におよぶ修辞学詩学では、またライプニッツやヴィーコに達したアルス・コンビナトリアによる思考学的展望では、トポスは「いつでも使える何かが埋まっている可能性なプレイス」のことになっていった。思考やイメージや、場合によっては出来事やコミュニケーションがそこから発祥しうる知的共有地としてのプレイスなのである。だからそこはいわば"場所庫"なのだ。
アリストテレスからヴィーゴにいたる思考方法の開拓者たちは、このようなトポスから何かを取り出せると考えた。何かとは「情報」あるいは「意味」だ。それらはトポスから出来(しゅったい)した何かである。トポスに向かってその何かを動かす術や方法のことを、修辞学的に「トピカ」(topica)というのだが、トピカは内在力が繰り出すもので、トポスはトピカが作動しなければ成立しない。トポスとトピカは相互共役的なのである。
こうしてトポスからトピカによって取り出されたものがトピック(topic)になった。トピカはトポスに潜在する未知な情報を何かと結び付けて外に取り出すアルス・コンビナトリアとしての結合術的な技法だったのである。アルス(ars)、すなわちアート(art)だったのである。トポスの鍵穴に差し込まれるのがトピカという鍵なのだ。
われわれが場所から感じるフィリアは何なのかとは、その雰囲気への愛着を含めての情報トピックであり、アルス(アート)だったのである。
初版発行: 2021年10月
イーフー・トゥアン|トポフィリア|人間と環境
p28-29 部分抜粋
場(トポス)には、「何かを動かす術や方法」(トピア)が作動する。
場に作用する「何かを動かした術や方法」を抽出するとトピック(話題・主題・題目)が生まれるのです。
建築は場を設計します。その場所は、人や環境による作用が起きる。何かを動かそうと意図を込めた動作を行う過程では、トピックが浮かび上がります。
ここにビジネスが絡むとトピックは、マーケットに流布される過程でメディアに変換されます。
地理学者イーフー・トゥアン
イーフー・トゥアン
Yi-Fu Tuan、段 義孚
1930年12月5日 - 2022年8月10日
中国天津の素封家の生まれ、欧米で思索を鍛えた地理学者
1960年代の末から1970年代にかけて形成された、人文主義地理学(humanistic geography)の研究潮流の中核となった人物のひとり。
それまでの人文地理学が社会文化の非対称性を軽視し、風景の損壊問題に目をつぶっているのに疑問をおぼえ、新たに「関係しあう人文地理」をおこしたくて提唱した。
著書
『トポフィリア』『空間の経験』『個人空間の誕生』『モラリティと想像力の文化史』『恐怖の博物誌』など
地理学者
地理学は、土地や水、気候などの自然と人間生活との関係を明らかにしていく学問です。主な研究分野には、人文地理、自然地理、地誌などがあります。
またオランダ黄金時代の画家ヨハネス・フェルメールが描いた絵画に「地理学者」という作品があります。1668年から1669年にフェルメールが描いた油彩画で、フランクフルトのシュテーデル美術館に所蔵されています。コンパスを手にした男性が思索にふける姿を描いた作品で、「天文学者」と対の作品として生まれました。科学者レーウェンフックをモデルにしたと考えられており、フェルメールは構図の空間的関係も決定しています。
藝術の分類
柳 宗悦さんによる、藝術の分類。明治・大正・昭和をまたいだひとの言葉より。
分類は概念を鮮かにするための便法に過ぎない。ここでは藝術の中で、造形美の領域がどういう位置にあり、また造形美の中で特に工藝が、どういう分野に在るかを示すのである。だがそのために藝術の各部門に関するあらかたの知識を用意しておかねばならない。
常識は人間の藝能を三つの大きな部門に分ける。
第一は時間の藝術。
第二は時空間の藝術。
第三は空間の藝術。
当面の必要にはこの便宜な分類で事は足りよう。
初版発行: 1985年7月
柳 宗悦( やなぎ そうえつ , Soetsu )
1889年(明治22年)3月21日 - 1961年(昭和36年)5月3日
日本の美術評論家、宗教哲学者、思想家。民藝運動の主唱者。
宗教哲学、近代美術に関心を寄せ『白樺派』に参加。芸術を哲学的に探求、日用品に美と職人の手仕事の価値を見出す民藝運動も始めた。著名な著書に『手仕事の日本』、『民藝四十年』などがある。
一. 時間の藝術
・無形藝術
・文学と音楽
これはいうまでもなく時間性を基礎とするものであって、無形の藝術である。これに二大門が数えられる。文学と音楽と。
文学は言葉に依る藝術である。今は文字に依ると述べた方がよいかも知れぬが、文学は文学なき時代、文字なき人々によっても生まれたのである。もとよりこの方が歴史は古い。悉(ことごと)くが口伝(くでん)であった。現在といえどもまだ残る。これは異常な記憶力が人間にあったことを証拠立てる。プラトンは文字の発明によって、人間の様々な能力が衰えたことをなげいた。だがともかく文字は非常な便宜を人類に与えた。これで文学は一層広く行き渡るに至った。ここで文学というのは詩歌、散文、劇、小説等の凡(すべ)てを含む。詩の韻律、劇の対話、三文の叙述(じょじゅつ)、各々が特質に活きる。この中での詩の歴史は最も古い。それを言葉の中の言葉ともいえる。日本の俳句の如きは最も特色あるものであろう。詩を普通は叙事詩(じょじし)抒情詩(じょじょうし)の二つに分ける。文学は人間の思想の一番忠実な表現といえよう。
第二の時間藝術はいうまでもなく音楽である。音を媒介とする藝能である。聴覚の藝術と呼んでもいい。昔は詩がある所には必ず音楽があった。この二つが分れたのは歴史が若いと思える。音楽は、吾々の感情の一番直接な反映ともいえよう。多くの場合、祭楽が発達の基礎であろう。人の声を別として、音楽は種々なる楽器を招いた。だが三つに概括することが出来る。弦(げん)と菅(かん)と鼓(こ)と。あるいはこれを弾く、吹く、打つという言葉で示してもよい。楽音は旋律と和音により成る。音には調音(ちょうおん)と噪音(そうおん)とがあるが、昔はほとんど調音のみであったが、近代楽は盛(さかん)に噪音をも取り入れるに至った。だがこれらの委細(いさい)は直接造形藝術に関与しないからこれだけの言葉に止めよう。
初版発行: 1985年7月
二. 時空間の藝術
・動的藝術
・舞踊と演劇と歌劇
・ダンス・バレエ・歌舞伎・能・猿楽・映画・オペラ・ミュージカル・などその分野は多岐にわたる。
時間に加うるに空間性を以てするものに三大門がある。舞踊と演劇と歌劇と。これは動作を主とし、詩歌や音楽を含むから時間的であり、人間はもとより衣裳や背景など眼に訴える形を有(も)つから空間性をも帯びる。
舞踊は四肢の動作に訴える藝能であって、起源は最も古い。神前における法悦(ほうえつ)の表現に発するものであろう。それは詩歌や音楽等と元来は一体を成していたと思える。
演劇は対話と動作とによるが、別に無言劇であり、人形芝居であり、影戯(えいぎ)あり様々である。劇文学と結ばれるのは言うを俟(ま)たぬ。
歌劇は音楽と深く交ることに特色がある。舞踊とも関連するから一番綜合的な藝能である。感覚として聴覚及び視覚が共に与(あずか)るのは言うを俟たない。
近時隆盛になった映画も新しい時空間藝術として注意されねばならぬ。これらのものを総括して動的藝術と呼んでもいい。だがこれらのことも私が携わろうとする当面の題材ではないから、これで筆を前に進めよう。
初版発行: 1985年7月
三. 空間の藝術
・有形藝術
・建築・絵画・彫刻・工藝
空間の依る藝能であるからここは有形の世界である。それ故この領域を「造形藝術」formative Art とも呼んだ。動作を主としないから静的藝術と呼んでもいい。時間の藝術と相対する。これが主として視覚や触覚によって認知される領域であるのは言うを俟たない。この造形藝術は四大門に分かれる。建築と絵画と彫刻と工藝と。あるいは前三者(建築・絵画・彫刻)を総括して美術 Fine Arts と呼んで工藝と区別する。人間の衣食住は深くこの領域に関与する。元来これらの四部門は相互に密接な連絡があったが、時代の遷(うつ)ると共に判然と分業化させられた。このことは時間藝術の経過と変るところはない。
建築は大きな立体的空間性を要求するものであるが、古くは神を祠(まつ)る宗教的性質のものが中心で、これに次ぎ宮殿や城郭、また都市の民屋や田舎の農家が続いた。近代において大建築は官庁、学校、病院、旅館、または富豪の邸宅等であるが、著しい現象は大会社の建物であって、如何に宗教時代から経済時代に遷って来たかが分かる。様式は全く土地の気候と歴史的伝統とに支配される。東西甚(はなはだ)しく違う。用材は土地の物資によって左右される。石、木、煉瓦、土等古くから用いられたが輓近(ばんきん)はコンクリートが大きな役を勤めた。建築では材料がその構造や形態を決定する最も大きな要素である。建築の最も著しい特徴は、それが造形藝術の総合体だということであって、特に寺院の如きは顕著な例であった。絵画も彫刻も工藝も悉(ことごと)くがここに結合した。庭園の術もこれに付随して考うべきであろう。建築は形態が大であるから、国力の表現は最もよくここに反映する。
絵画は平面空間の藝術であって、色彩と線によって構成される。壁、板、布、紙等に主として描かれ、古くは壁画が主要なものであった。宗教的需要に発したのである。大体東洋と西洋と各々特色を有(も)ち、一方は自然を主題にすること多く一方は人物を対象にすることが多い。人生観の相違に由来する。東洋では彩画、墨絵(すみえ)、密陀絵(みつだえ)、漆絵(うるしえ)、木版画等あり、西洋ではテンペラ、油絵、水彩画、素画、銅版画、彫蝕画、木版画、硝子絵等様々である。用いられる筆、絵具また異る。特に筆の性質は両洋画の別を決した。色彩は絵画の生命ともいえるが、材料は耐久的な顔料性のものが多い。東洋では墨絵が大きな流れをなした。画風は古くは伝統により、近くは個人的画家の影響により、写実風なもの象徴風なものなど様々な流派に分れた。絵は壁面に仕組むもの、額縁に入れるもの、掛軸にするもの、巻物にするもの、書物にするもの、屏風にするもの等色々である。
彫刻は絵画と異り、立体空間の藝術である。丸彫のもの浮彫のもの二つに分かれる。古くは石材最も多く、続いて木、泥、金銅(こんどう)、鉄、石膏(せっこう)等で、日本の乾漆(かんしつ)の如きは特徴がある。小品では角、竹、骨等も用いられた。絵画とは異り外に露出されるものも少なくない。古くは神仏、聖体、魔鬼、王族の像多く、主として宗教的要求に発した。近世に及んで信仰と関係なきもの漸次(ぜんじ:次第に)多く、人体が主である。別に獣、鳥、魚等多少加わる。全身、半跏(はんか)、半身、頭部など様々であるが、近世ではトルソーを試みることが少くない。天然の岩窟に刻むもの、神殿に奉置するもの、門前や屋上に安置するもの、碑として達つもの、室内に置物として飾るもの等様々である。彫刻として特に注意すべきは面である。祭礼の舞楽に多く用いられた。能楽面の如きも著名である。小品としては人形、玩具があり、掬(きく)すべきものが多い。古来彫刻に彩色を施すものも稀ではない。面貌(めんぼう:顔つき)の表現は彫刻の生命である。
前述の如く、彫刻、絵画、彫刻をしばしば美術の名によって呼んだが、中でも絵画と彫刻とは、近代において純粋に美を追う藝術と考えられ、かつ個性の自由な表現として他から区別され尊重せられた。これらの二つが「純粋藝術」Pure Art と呼ばれるのはかかる理由による。美術が有る社会的地位は高い。
だが、これらとは別に、造形の世界に現れるもう一つの部門がある。「工藝」と総称せらるるものであって、その範囲はいたく広く種目は甚(はなは)だ多い。これはこの一冊が取り扱う主題である(中略)
初版発行: 1985年7月
意匠と信仰
形を造るときに、先人たちはよくよく意味をつけました。
意味
1. ある物事を示すこと
2. 表現・行為によって示され、あるいはそこに含み隠されている内容
3. 価値・重要性
意味付けるということは、コンテクスト(context)であり、信仰でもあります。
たとえば日本の建築においては、「階段」がこの世と神々の世界をつなぐ「境界」の意味を持つことがあります。神社の鳥居は門の役割を果たし、鳥居をくぐりながら、神の世界に近づく装置として設計されています。それはまるで、岩であったり山であったり海であったり太陽であったりする八百万(やおよろず)の神に会いに行く舞台装置のようです。神を祀る祭りの舞台も、其処につくられたりしていました。
折口 信夫(おりくち しのぶ)は、日本の信仰では神はまれびと(稀人・客人)であり常世の国から来訪することを現存する民間伝承や記紀の記述から推定しました。お盆にきゅうりやナスの馬に乗って、死者の魂が還ってくるという風習も、稀(まれ)に訪れる人という信仰の対象です。彼岸を渡ってしまった会えなくなってしまった人に、私たちの祖先は神のおもかげを願ったのかもしれません。
場所には心が寄せられます。
トポス(場所・場所性・場所力)とフィリア(偏愛性・関与力)を重ね合わせることは、「場と心」をつなげる祈り、もしくは行為であり、時にそれは懐かしさや愛情や情念を溜め込んでしまう場を形成するのでしょう。
古い慣習におけるデザイン(意匠)は、神に重ねた想い人と心を通わせるための装置としての機能も有していました。西洋では呪いや魔術を形にして意味づけ忌み嫌わせる意匠も多く見受けられますが、日本においては、どこかのんきな子宝を願うユーモラスな造形物やら、目に見えない畏怖や怨念を祓い清める装置など、生活に根づいた信仰が自然と共に息づいていたように思います。
参考
書籍
松岡 正剛「日本文化の核心」「全然アート」
柳 宗悦「工藝文化」
白洲正子「かくれ里」「たしなみについて」
世阿弥「風姿花伝」
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