母が倒れた

母が倒れた。脳に腫瘍が発覚したらしい。
私は18歳の頃には実家を出てほぼ10年近く母とは会っていなかった。

正確に言えば10年の間で数回瞬間的に会った事はあったけれど、それは"会う"と言えないほど心の交差のない対面だった。

私は幼少期の写真を見て自分自身の顔を見ても「誰なんだろうこの子は」という感想が1番に沸く。

自分なのに自分だという感覚がないほどに幼少期の記憶が薄い。

それは両親に対しても同じで、幼い頃の私を育てた両親の顔を見ても誰なんだこの人たちは。若いなあ。そんな感想しか出てこない。

心理的なトラウマが大きく複雑性PTSDを持っている事が原因だと思う。

大人になってから再会し、とても仲良くしてくれている姉を経由して幼い頃あなたはこんな事が好きだったよね、こんなオモチャを持っていたよね、
そんな事を聞く中で途切れていた記憶が少しづつ繋がり"私"というものを思い出した様に思う。

それから姉以外にも知り合った知人と関わる中でふと幼少期の記憶を思い出す事もあり、
そんな時は脳が安心して昔の事を思い出せたのかな?そんな風に思っていた。

何故ならそんな時に思い出すのは小さい頃の温かい思い出だったから。

家の近所で野良猫を触ったこと、
シロツメクサを集めたこと。
クリスマスに窓で光る温かいオレンジ色。

私が傷ついたまま生きてきた10年間は変わりはしない。

それでもそんな記憶が蘇ると、私が欲しかった愛は両親から貰えなかったけれど確かに両親は両親なりの愛を持っていたんだと解る。

私の10代と20代は傷ついた自分を忘れるために隠すために自分で自分を傷つけ殺すそんな時間だった。

数少ない友人には自分自身のこういったセンシティブな話をする事もあったけれど、精神的に寄りかかる場所がないという事がとてつもなく自分に悪影響を与えたと自覚がある。

愛のない人から不必要な傷を負わされた事もあったし、逆に傷つけた事もあった。

本当の愛が何かを知らないという事は間違ったものを愛だと認識してしまうのだ。

そんな中でも私は産まれもった探究心や知的好奇心や今までの人生の中で関わってくれたたくさんの人たちのお陰で愛とは何かを少しづつ知ってきた様に思う。

愛とは自分の感情を相手に振りかざす事ではない。
相手と自分の幸せの中に交差する部分が存在するなら、
それは瞬間的だとしても奇跡と言ってもいい。

そんな瞬間の連続が私にとっての愛だ。


親が居ない子供達の母は地球。
孤児は地球のこども。
あの木もあの風もあの雨もあの花もあの猫もあの犬もあの本もあの曲もあの人もぜーんぶ母になる。

どうして個人の心の中に留めておいても良い話を書き残すのかというと、
私はここまで生きてきてしまったという想いと同時によくここまで生きてきたと自分自身に想える瞬間があった。
自分の傷を抱きしめて生きていける、生きていこうと想える瞬間が確かにあった。

大丈夫と大丈夫じゃない、の繰り返しでもそう想える瞬間が確かにあったのなら私はきっと大丈夫。

そしてここまで生きてきたのならこれからの人生を私は自分自身に負い目を感じる事なく宝物のように大切にして、地球の子供たちの同志として母として強く生きていきたい。
そんな気持ちで書き残している。

私はここまで生きてきた、だから貴方もきっと大丈夫。
そんな風にこれから生きていける様に。


ICUに入った母には会っていない。
正直会いたいという気持ちは湧いてこない。
再開をする事がもしあるのだとしたら「はじめまして。」の気持ちになるのだと思う。


幼い頃の親からの呪縛を断ち切ることに"へその緒を切る"という言葉がある。
私はへその緒をいつの間にか断ち切れていた気がする。 
何故なら数年前まで悪夢を見るたびに両親が夢に出てきていたが、そんな夢ももう久しく見なくなっていた。
生活の中で昔の嫌な思い出に頭が支配される事も殆どなくなっていた。

稀に見ることがあっても自分が生きて抜いてきた道だと湧き出る感情を抱きしめている。
つまり私は過去ではなく"今この瞬間"を生きている。

断ち切れたのは私が私自身の手で自分自身を大切に愛そうと覚悟を決めたから。


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