傘の下で
雨が降るといつも誰かしらが「あ〜あ、雨だよ。」と落胆の声を漏らす。
そんな声を耳の端で聞きながら、私は雨が降るといつも心のどこかで安心していた。
そんな安心の表情を感じ取ったのか目の前に居た年下の女の子に「雨は好きですか?嫌いですか?」と質問をされる。
私は咄嗟のことに社交辞令的な返事ができなくて、
「好きだよ。だって傘をさしていたら人の顔を見なくて済むし。」と普通の人が聞いたらぎょっとするような返事をしてしまった。
その子は目を丸くして、何でそんな暗いこと言うんですか!と笑いながら離れていき、残された私は深く切った自分の爪を弄りながら窓の外の雨を眺めた。
いつの頃からか私は人の顔の奥に隠される感情を読み取る癖がついてしまっていた。
そんな癖は道ですれ違う人々にも適用されて、だからこそ他人の顔も自分の顔も隠せる傘はいつもより私を安心させる。
それに傘の下で聞く人の声は普段よりずっと美しく聞こえるらしい。
人の声が雨粒に反射し、傘の下で共鳴するのだと。
そんな事を聞いてから私は雨が降った日には傘の下で小さな声で歌を歌っていた。
声を出すこと、人と話す事に根本的に苦手意識が私はあるけれど、雨が私の姿を隠してくれるから私は私のために小さなメロディを口ずさむ。
そんな時に感じる孤独は、私にとって必要な孤独のように思えた。
そして傘の下で聴く私が私を励ますためのその声は、自分自身でも何故だか好きだと思えたのだ。
人の顔も瞳も真っ正面から見つめるのが苦手だから、私は人の声にもとても敏感である。
声は嘘をつけないからだ。
人間はどんなに表面的に取り繕ったとしても声には本当の感情が含まれてしまう。
だから盲目の人は健常者よりも余程他人の様々な部分が視えてしまうのだろうと昔から想像していた。
色んな壁を越えて身体も超えて、会話が出来たならどんなに良いだろう。
それは心の会話といえるのかな。
魂に触れるって言っても良いのかな。
私はいつか誰かの心に触れるのだろうか、私は私の心に誰かが触る事を許せるだろうか。
そんな想いを胸に抱きながら、
雨が降る日、私は傘の下で小さく歌を口ずさむ。
私の声は、君の声は、
どんな風に聞こえるの?
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