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第37回 吃音のA君

私が本部でつとめている時、「青年会ひのきしん隊」という部署の任を受け、三年間住み込みで伏せ込ませて頂きました。

ひのきしん隊には、同様に係員としてつとめる青年さんがいます。今日はその係の一人、A君の話です。

A君には生まれ持っての「吃音」がありました。

人と話す時、「こんにちは」と言おうとしても、「こ」でつっかえて止まってしまい、「こ、こ、こ…」となってしまう。そうした吃音が日常的に起こるのです。

そうしたハンデがあるにも関わらず、ひのきしん隊には毎月、大勢の人がやってきます。その中には当然初対面で、吃音の事を知らない人もいる。しかしA君は係員という職務上、隊員さんに色々な事を説明したり、時には大勢の前に立たなければなりません。

人前に立つというのは、どんな人でもプレッシャーを感じます。ましてや彼は20代前半なのに対して、彼よりもっと年上の男性が大勢集まっている訳ですから、尚更でしょう。大勢が注目する中で、突然吃音が起こるという場面に何度も直面する訳ですから、A君はその度、辛い思いをしてきたと思うのです。

彼は吃音について、「昔からなので慣れています」と気丈に答えてくれるのですが、大勢の人と関わるひのきしん隊の生活は、私にとっても常に気を抜けない、ハードなものです。彼の心中を推し量る事はできませんが、きっと毎日がストレスフルだったのではないかな、と思います。

そんなある日の事。ひのきしん隊には「夜の挨拶」があり、係の放送に従って、各班で読み物、整列、点呼を行います。その日はA君が当番だったのですが、全体に放送で指示をしている時、突然吃音が始まってしまったのです。

「本日も一日、ありがとうございました」と言えば終わりなのですが、「ほ」の次が出てきません。「ほ、ほ、ほ…」という声が放送で響き渡ります。その日は調子が悪かったようで、次の言葉が出て来るまでに数分もかかりました。

その間、ひのきしん隊にいる百人近くの男性が、シーンと押し黙りながら、言い終わるのを待つ訳です。私は全隊員が注目する中、「ほ、ほ、ほ…」といい続けるしかない彼に、ものすごいプレッシャーがかかっている事を感じ、背筋に冷たく、苦しいものを覚えました。

しかし、私が驚かされたのはここからです。辛い数分が過ぎ、「ほ、ほ…本日も一日、ありがとうございました」と彼が言い終わった瞬間、皆の歓声が爆発したのです。沸き起こるような拍手が起き、「よくやったー!」「頑張ったなー!」という賞賛の声が、あちこちから聞こえてきます。

私はそれを聞きながら、思わず涙が溢れました。天理教の人は、なんと温かいのだろう。吃音に立ち向かうA君は、なんと勇敢なのだろう。そしてこの言葉にできない思いを分かち合える青年会は、なんと素晴らしいのだろう。それから数年がたった今でも忘れられない、感動の思い出です。

…そして後日談。先日、教区青年会の行事で、A君を含む皆と飲みに行く事がありました。スナックのようなところで、カラオケが付いています。するとA君がおもむろに曲を入れました。歌いこなすのが難しく、キーの高い曲です。私の心には不安がよぎりました。A君、大丈夫?ハードル上げすぎじゃない?

そう思う私を尻目に、A君のすらすらとした美声が響き渡ります。そしてなんと皆の注目の中、おどけて笑いまで取るA君。「おー!やるやん!」と皆は笑い、大きな拍手が沸き起こります。私は過去のA君を思い浮かべながら、A君はずっと吃音と立ち向かって、遂に乗り越えたんだなあ、と、ジーンと来るものがありました。

おさしづ現代語訳の中に、こうあります。

「ならぬ堪忍、するが堪忍という言葉がある。怖い、恐ろしい中でも、堪忍を心に置いて通るならば、それが理となり芽が出て、思いもかけず楽しみが現れるというように、艱難苦労は一つの道である。先の事を心配せず、これは親神の道中であると心を定め、じいっと耐え、どうでも楽しんで働けば、これが種となり、遂には道が開ける。不自由の所をたんのうするのは、徳を積む事である。あなたの苦労は親神に届き、受け取っているのだから心配はいらない。堪忍を心において通れば、晴天も同様、天より明るい道だと諭しておこう。」

「大層も大義も不自由も、いつまでも続く訳ではない。日々常々、誠一つの心に理があれば。その者の誠の理を受け取り、心通りに現実として返す。それが多年に及べば、世界が自由自在となる。」

A君は辛い中を堪忍して徳を積み、遂には自由自在の御守護を頂いたのだと思うと、胸が熱くなります。人間が逆境に立ち向かい、乗り越えて行く姿はなんと頼もしく、美しい姿でしょうか。私も頑張ろう、と勇気をもらったワンシーンでした。

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