休日となった月曜日
久しぶりに休日を過ごす事になった。
ここの所、実家の農家の手伝いのために毎週のように帰省し、まともに休みを設けていなかったのだ。
昨日、ようやく今年分の全工程が終了し、一息つけるようになったのである。
今年は長かったな、と感じる。
この手伝いも、やる事に慣れている事には間違いない。
僕を含め兄弟は皆、小学校に上がる前から、この手伝いをしてきたので、大体のやる事は承知していて、季節ごとに農家の仕事を意識せざるを得なかった。
今年も例外ではなかった。
今年は特殊な1年であるものの、季節は否応なしに進んでいく。
そこではやはり、「ああ、もうすぐ稲刈りの手伝いだなぁ」などと、頭の中で呟くようになるのだ。
もしかすると実家で農業を営んでいる方は、頷いているかもしれない。
うちではそんな季節がようやく終わったのだ。
大作業が終わり、一息つける事になったのだ。
今年の作柄を心配していた両親も、祖母も無事に終わった事を喜んでいたようだった。
何よりである。
そこに一種の達成感があるのだが、今年は例年になく手伝える人数が少なかったので、その達成感もより一層大きいように感じたのだろう。
本当によかったと思える瞬間だった。
しかし、人数が少ないため期間が長引き、結局例年の倍の時間がかかってしまい、休みのない1ヶ月となったのだ。
今は比較的自由な生活をしているつもりだけれど、休みはあって無いようなものだと感じていた。
それは結局のところ、ずっと仕事をしているからだった。
仕事は労働とは明確に区別されるものなので、心身のストレスは比較的感じにくいが、仕事と生活のメリハリはつける工夫が必要になる。
今回の手伝い期間を通じて、それを感じさせられた。
僕は休みを設けていたつもりだったけれど、実のところはそれができていなかったのだ。
もちろん、仕事ばかりしている事が完全に悪いことだとは思わない。
一生ものの仕事に熱中できる事は、誰でもできるようなものでは無い。
それでもずっと働き続ける事は、たとえ仕事であってもバランスが悪い。
生活は続いていくものだし、ひとりで生活しているわけでは無いからである。
あくまでも、仕事は生活の一部なのだ。
仕事が生活よりも大きくなるのは、恒久的にはならないし、一時的なものだ。
それが労働なら尚更である。
ここ1ヶ月の僕は仕事が生活よりも大きくなっていてのだろう。
心身が疲れる理由も当然のことだったわけだ。
こんな時にできる事はひとつしかない。
休む事である。
今日は、この文章を書き終えたら、後は普通の休日を過ごそうと思う。
さて、何をして過ごそうか。
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