新規就農で30年続いてる先輩と9年で諦めた後輩
新規就農者について考えていて、ふと一昨年離農した人を思い出した。
義父のもとで里親研修をして、一人で始めた人だ。
その人は、一人でハウス2反分の面積を春作はスイカメロン、秋作は大玉トマトを作っていた。
トマトは手が回らなくなるから1反の作付けにしてどうにか一人で回していた。
2年目くらいまで春作のメロンの整枝作業が間に合わなくて、私が助っ人に行ったりしていたが、どうにかこなせるようになって、助っ人に行くことはしばらくなかったけれど、時々ぬかるんだところにトラクターがハマってしまって、夫が救出しに行ったりしたこともあった。
9年農業をやって、生活できるほどのお金が稼げないのと、親の健康の心配もあって、離農を決意したと、義父から聞かされた。
直販も少しやっていて、全部荷物をうちに持ってきて一緒に集荷してもらう体制でずっといたので、その時にどれだけ作れたか、作れなかったかを聞いていたから、その感じを思うとなかなか厳しそうだとは思っていた。
同じく30年前に義父のもとで研修して独立して30年、結婚してからもパートさんを雇って基本は自分一人で作業して、子どもを育て上げた人がいる。子どもが社会人になって少し気が楽になって、今までの面積だとそろそろ身体が限界になる、ということで、少し面積を縮小して、ハウスで春作のスイカ、秋作大玉トマトを作っている。
その人は去年から里親に登録して、研修生の受け入れをしている。
私にとっては大先輩にあたる農家さんになるので、作付けの話や栽培管理のことなど会うと話す。
その度にこの栽培方法を試したらこうだった、この資材は良かったけどコストを考えるとどうかなとか、毎年いろんなことを試しているという話を聞く。
いつも朝早くから日が暮れるまで仕事をしていて、休みは取ってないのだろうな、休んだとしても結局気になって畑に出るか、いろいろ勉強する時間に使うんだろうなと思う。
同じ義父が引き受けた人たちなのに、この違いはなんだろうと思っていたけど、大きな違いは、自分の考えで自分がやる、という覚悟が強いか弱いかの一点だ。
やめてしまった人がよく言っていたことは、お義父さんのやり方でやります、と言っていたこと。
作物も、使う肥料や資材も、栽培方法も、独立してから全てうちでやっていることを見にきてはその通りにやっていた。
ただ、同じメロンやスイカでも違う品種を作ることはあっても基本的なところは同じものをやっている。
続いている人は直販のことを考えて自分の顧客に売りやすい品種のメロンとスイカを作り、栽培管理はうちとはかなり違う。
毎年データを取って、よその農家さんの情報も聞いては使えそうだと思ったら試してみる、の繰り返しで、私たちが教わることも多い。
ちなみにうちはというと、ハウスも7反ほどあるが田んぼも6.9町あり、それぞれ家族経営でやるには面積が広いので、田んぼは義父と夫、畑は義母と私、ただし水の管理は夫がしてから田んぼへ行くという作業分担、いまは義母はたまに入ってもらうくらいになり私とパートさんやアルバイトさんでやっていて、これも義父母の年齢を考えると限界だからとずっと管理や雇用のことを見直し続けている。
やめてしまった人は、基本的なところは真似できていなかった。
私たちと一緒に作業していた研修中、人に合わせるんじゃなく作物に合わせて管理するんだよ、と教えていたところができていなかった。
そして、サラリーマン時代の友達とちょこちょこ遊びに出掛けていた。
一人で農業するのは、自分で全てやる、ということなのだが、その人は何かあったら私たちが助けてくれる、ということがいつも頭の片隅にあったし、なぜか年老いて甘くなってしまった義父もそれを許してしまっていた。
先輩農家はうちに頼ることは今までなかったし、とんなやり方をしてるかたまに見に来ても、頼ることはしないだろう。
それが、大きな差になって、経営が続かなくなったことに繋がったのだと思う。
頼ることは悪いことではない。
手遅れになる前に相談して頼ることは必要だけれど、それが当然ではなく、そうならないようにするにはどうしたらいいかを考え続けることが、ずっと続けていくための肝なんだと思った。
もちろん私たちも考え続けなければならない。