ジャッジをやめる、何度でも
こんにちは。
なつむです。
何回でも失敗するから、
何回でも、
同じ話をnoteでも
メルマガでも、
書けばいいよね
と、思うことにして、
もしかしたら過去にも
書いたかもしれないことを
また
書いてみようと思います。
すぐ落っこちるの、その穴ぼこに
世界がね、つまらなく見えるんだよね。
そこに落っこちると。
その名も、 ケチつけ穴 ←名付けた w センス無いなーw
何かを、見るにつけ、知るにつけ、
あんなの、ただの、XXじゃない、とか、
イマイチだな、とか。
なんだか、
そういう反応ばかりする。
・・・・つまらない。
穴から出たときの自分から見たら、
「え、どうしたの?
なに、噛みついてんの?」
「イチャモンつけたいだけ?w」
「どした?生理前? 笑」 ←
ってなるようなことを
いちいち。
お姑さんモード、って言ってもいいけど。
中にあるものがでてるだけ
あのね。
世界って、ないの。
メチャクチャなことを言うようだけど、
「自分以外の世界」って、
「ない」んですよ。
だってね。
世界は自分で、自分は世界。
そう。目に見えているものは
自分の内面に
「きづいてーーー!」
って、そこにいて、
私を映している、だけ。
「あなたの中に、これがあるよ」って。
気分が悪いのは、
自分の中に、もともと
「気分悪い」が、あるだけ。
なら、どうするの
そう。ここからね。
大事なところなの。
日本人みんな、責任感
けっこー強めなので、
かつ、
私にご縁のある人が
読んでくださると思うので、
割りと多めな割合で、
そこで自分を責めにかかるのね。
世界がつまらなく見えるのは
自分のせいです!はい!
って。
わかるーー。
そして何がおきるかというと
自分を責めるっていう
のを
自分の中に持つから
余計に
責められることが
起きちゃったりとかして
もう、
泣きっ面に蜂だよねーーー。
逆です、逆
最初の理解は、合ってるの。
自分の中に、
「気に入らない」があったから
「気に入らない」ことが
現実に起きる。
それはそう。
でね、
どうして、
そんな、
嫌な思いまでして
「気に入らない」ことが起きるかというと、
自分の中に
「気に入らない」があるから、
って、
こう書くと
まるで同じことしか、
言っていないのだけど、
視点をね、変えてほしいわけです。
自分の中に「気に入らない」がある
っていうことを
【それは悪いことだ!!!】
っていう考えを、
まず捨てて。
逆なの。
自分さんは
怒られなきゃいけない人ではなくて
責められなきゃいけない人ではなくて
癒やされなきゃいけない人なの。
辛かったね
気に入らない気分になったのには、
気に入らない気分を
抱え込んだのには、
当時の自分には当時の自分なりの
それ相応の理屈があったはずなの。
思いがあったはずなの。
言い分があったはずなの。
多分それ、
出しきれてないの。
甘やかしてはいけないって
どこかで言われて来たから。
苦手な人も多いのかもしれない。
でもね。
私よりももっと辛い思いをしている人が
たとえ世界中に何億人いたって、
「私の、辛い、は、私の、辛い」だから。
それは、辛くなかったことに、
しなくていいんだよ。
気に入らないことが
あったんだよね。
何かが、脅かされたんだよね。
それは、
辛かったね。
辛かったね。
つらかった。
つらかったんだ。
つらかったんだよー。
そうなの。
そうなの。
つらかったの。
辛いことを辛いって言ってる自分を、
裁かないで。
ただ、味わって。
つらい。
つらいねぇ。
痛いねぇ。
どこまでも落ちていける人は
ぜひ、どうぞ。
大丈夫、帰って来られるから。
自分の辛さは
自分が味わうことでしか
成仏できないからね。
味わいきった感情は
ちゃんと成仏してくれる。
そうして帰ってきたら
お茶でも入れて。
トイレでも行って。
ふぅ、って
一息ついた頃には
気づいたら、
さっきほど、
世界は嫌じゃないはず。
気づくと
ケチつけ穴からも、
出てるはず。
世界への見方も連動する
世界はもとから
素晴らしかったの。
ケチを付けるところも
ジャッジするような必要も、
なにも、
なかったの。
もともとは。
でもね。
自分の痛みを
なかったコトにすると
「ねぇねぇ、気づいて」って
心は、中から教えてくれる。
外から「痛み」を連れてくる。
そうすると、
世界が素晴らしく思えなくなったり
する。
それは
世界が素晴らしくなくなったのではなく
自分の中の
癒えていない痛みが
気づいてほしくて、
あなたの気を引きたくて
早く味わって
成仏させてほしくて
「ねぇねぇ」
「ねぇねぇ」
「きづいてよー」
って、
言ってるだけ。
っていうことを、
忘れちゃうのよね。
そういう穴ぼこに
すぐに落ちるから。
けっこー気をつけてても
何かの拍子に
すぐ落ちるから。
いいのよ。
何回でも落ちたら。
何回でも、上がってくれば。
落っこちることすら、良かったねぇ
落っこちること、への
ジャッジも、ついでに、
やめてみよう。
そうなんだよね。
何度でも
おちて、
何度でも、あがる。
そのたびに、
自分の中にあるものに気づいて。
そのたびに
自分の中にあるものを
いっぱい、いっぱい、
味わって。
そうしたらまた、
世界の素晴らしさが、
余計によく分かるようになる。
そういうふうに、できてる。
あぁ、ありがたいねぇ。
良かったねぇ。
穴ぼこ、あって。
そうなの。
世界はもとから、
やさしい。
それがわからなくなったら
それを味わえなくなってるとしたら、
自分の、癒やしどき、ですよ♪♪♪
この素敵な世界で、
今日も私と、noteを通じて、
遊んでくださって、
ありがとうございます♪♪
ではまたーーーー!