オープンダイアローグ②ーその後1カ月
講座を受けてからの1カ月はまるで3ヶ月に感じられるような 濃い時間が続いた。
沢山の出来事があり、いろいろな人と対話した。
休日も予定が入りなんとなくせわしい感じもしたが心の中にいつもぼんやりとすいめいさんからの宿題、自分を大切にする、という言葉があった。そして何か決断を迫られる時、この言葉が浮かんだ。今まではどうやって決断していたんだろう、と思った。
「自分を大切にする」という言葉が浮かぶ時、それって自分を甘やかすということとは違うよなという言葉がセットで浮かぶ。今までの私は自分に甘いけど大切にはしていなかったかもしれない。大切にする、その言葉が浮かぶことで勇気が出せた時も出せなかった時もあった。今までとあまり変わらなかったかもしれない。
でもぼんやりとその言葉が自分の中にあったのは大きかった。
お盆に祖母が亡くなったと連絡があった。91歳だった。ちょうどお盆休みの初日で乗車率120パーセントの始発の新幹線に乗り青森まで行った。青森はとても涼しく21℃。心地よい気温、移動の疲れと、まるで温泉上がりのような幸せそうな祖母に会えた安心感もあり、すっきりと泣いてその日は久しぶりに深く眠れた。
母方の実家は村の小さな神社なので神道式の葬儀を行う。ちょうどお盆にかかり神社庁の偉い人が来れないなどということで葬儀は来週に持ち越しになった。来週も来るのか、大変だという気持ちとまたここに来れるという喜び。子供の頃、夏休みはほぼ1ヶ月ここで過ごしていた。従兄弟に会えるのも楽しみだった。昔はお宮の前には冷たい湧き水が湧き、村の人がスイカやらビールやらを冷やしに来ていた。お宮の裏の山は大きくて川にはカジカという魚がたくさんいてタオルで掬ってとれたてを焼いて食べた。今は湧き水も湧かなくなり、川にはガマがボウボウと生えていた。それでも川は流れていたし、樹はあくまで高く森には何かの気配がした。大きなニホンジカとも目があった。静かだった。この静けさを忘れていた。
再び訪れて通夜、葬儀が終わった後だった。
私は従兄弟を呼び出して、二人で月を見ながら話していた。全て自然な流れだった。従兄弟と会うのは実に5年ぶりだったけれどなぜか、長年自分だけで背負ってきた原家族の問題、を話すことができた。
話したタイミング、話した相手がベストな気がした。全部、とは言わないがふんわりと心が軽くなった。深く理解された感覚があり本当に聴いてもらえるってこういうことなんだ、とぼんやりと思った。月がきれいだった。村は暗いので互いの顔は見えず月を見ながら話したのも良かったのかもしれない。
講座でODには「目線で縛る」という言葉があるというのを知った。人間は相手の目線、表情、リアクションを無意識に感じて話を変えたり、素直な気持ちを話せないことが多いそうだ。私はとても心当たりがあった。なのでリフレクティングの際などは目線を外すようにするのがポイントらしい。
来週は第2回目の講座だ。長くて濃い1ヶ月だった。すいめいさんの言葉はこの後の自分にどんな風に響くのだろう。それからどんな人たちに出会えるだろう。