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【放送概論風味】::イチローの引退記者会見から見えた気がするもの

まずは視聴率
2019年3/21深夜。日付も変わろうかという時間帯のことだった。日本テレビ系列『news zero』(23:00~23:59)は、記者会見冒頭で放送終了したが、番組平均視聴率は10.9%だった(ビデオリサーチ発表以下同じ)。『FNNプライムニュースα』(23:45~24:30)は番組平均視聴率6.1%をマークし、これはこの番組最高記録だったとのこと。絶好調と言われる深夜ドラマ「家政婦のミタゾノ」ですらいって6.8%、通常4%取ればすごいと言われる時間帯なので、これはまあ大変なことだったのかなと思われる。
しかもこのとき、ドームからの中継ということだからか多くの視聴者が日本テレビ系列にチャンネルをあわせた。ところが会見は冒頭のみで切れてしまう。日本テレビではBSやCSをつかって中継を続けたのだが、それには気がつかない多数の視聴者が「中継難民」となった。その状況を見るに見かねたテレビ東京の女性アナウンサーが、ネット中継のURLをツイートするというう事態にまで発展した(彼女のとった行動は賞賛に値する!)。

イチローの言葉
会見の中でイチロー選手は通常の日本の会見では出てこないような反応をいくつか見せている。
「え、おかしなこと言ってます?大丈夫?(笑)」
「そんなアナウンサーみたいなこと言わないでくださいよ。」
「(Tシャツのこと)それはいわない方がいいんだよね。やぼったくなるから。見る側の解釈だから。いちいち説明すると、やぼったくなる。言うと無粋になることは間違いないよね」
「(打席での感覚の変化といった技術的?なことについて)いる? ここで。裏で話そう、後で(笑)」
いずれの反応も、記者が引き出そうとした事柄が、俯瞰的に野球を見たときの彼の哲学なり野球観なりを引き出そうとしたことに対するものだろう。そんなことをなんでここで言うんだ。あとでゆっくり考えてから話せばいいことじゃないか、という反応に見える。
Twitterをはじめとするネットでの人々の反応もそれを裏付ける気がする。
 「そんなこと聞いてどうする?」
 「それより今の気分が知りたい」
 「馬鹿な記者だ。自分が言わせたいことを無理やり聞くな」
どうやらイチロー選手と中継視聴者は気分が一致しており、記者の方々はそこから「浮いて」いたのではないかとすら思われる。これはどうしたことなのか。

この日、イチロー選手は試合では打てなかった。にもかかわらず、多くの観客は試合が終わっても帰ろうとはしなかった。会見の言葉にもあるように
「ゲーム後にあんなことが起こるとはとても想像していなかった」
「印象として、日本の方は表現するのが苦手というか、それが完全に覆りましたね。内側に持っている熱いモノを表現した時の迫力は今まで想像できなかったです。」
「いやぁ、今日のあの球場でのできごと…。あんなものを見せられたら、後悔などあろうはずがありません。」
という言葉に端的に表れているように、おそらく想定外の出来事だったのかもしれない。
つまりファンはその日のイチローの活躍を見に行ったのではなかった。長年オリックスで仰木監督のもとで活躍し、イチローとなり、世界へ羽ばたいたその存在を見に行った。少なくともシアトルマリナーズの日本人ヒーローであるイチローその人を見に行った。その引退する「さま」を、生で見るために行ったのである。当然ながら試合の後、その人がどんな表情でどんな行動をするか、人々はそれを見届けたかったのである。

ところが取材陣はそうではなかった。深夜である。視聴率はいったところで5%だ。それよりも、翌朝のニュースで、ワイドショーで、あるいは紙面でイチローの言葉を伝えなければならない。というより他局や他紙が伝えているのにウチがつたえないわけにはいかない。できれば自社のポリーシーに沿った「いい感じ」の「素材」を収めておかなければ、というスタンスで会見にのぞんだのではないかと思われてしまうのである。

そこに視聴者との相当大きなズレがあった。視聴者もまた「今のその瞬間のイチロー選手の様(さま)」が見たかったのである。あの観客のオベーションをどう思ったのか、いまどんな気分でどんな顔をしているのか、生のイチローの有様をそのままに見たかった。だから中継にこだわった。考えを聴くだけなのならその日は眠ってしまって翌朝ニュースでも情報番組でもみればいい。

スポーツは「人」である。卓球にこれだけ注目が集まったのは、愛ちゃんの存在があってそこから多くの選手に興味の焦点が移っていったからである。競技への関心も重要であるが、やはり人である。ルールはあまりわからなくてもカーリング娘が人気なら、その競技に人々の目は向いてゆく。ルッツとトーループの違いがわからなくてもスケートリンクに人々は集まる。
イチローは特に大きな「人」である。野茂選手がこじあけたメジャーへの穴を大きな道に仕上げた「人」である。たくさんの人々の目標となり憧れとなり友達でありプライドの源泉となった。その「人」が「今」どんな気持ちなのか、どんな顔をしているのか、どんな表情でどんなイントネ−ションでどんな目つきで話すのか。それが人々の見たかったものだと言える。

そうした「人」の「今」への強い希求、それが深夜にもかかわらず大きな数字となって記録されたのだと言える。つまりはそれが、人々がテレビに求めてきたものであるし、これからもテレビに求められることなのだ。あの日、ネットは最初から中継していた。にもかかわらず多数のテレビ中継難民が出現した。生で表情を見たいときは、スマホやPCではなくテレビ。それがこの国の文化かもしれないとも思う。テレ・ビジョンとはよく言ったものだ。

とてもぐうたらな社会学者。芸術系大学にいるがこれでも博士(社会学)。