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【放送概論風味】::小さな手でおしゃべりする子どもたち ETV特集「静かで、にぎやかな世界 ~手話で生きる子どもたち~」

おそらく、いやかなり確実に、2018年に作られたドキュメンタリーの中では5本の指に入る作品だ。文化庁芸術祭ではテレビ・ドキュメンタリー部門の大賞となったが、それだけの力はあると思う。
テレビである。テレビ・ドキュメンタリーである。しかしナレーションの声がほとんどない。取材対象者のしゃべる声もない。なぜなら彼らは「手話」でしゃべるから。ところが題名の通り、本当ににぎやかなのである。子供たちだけではない。先生も家族も、本当ににぎやかによくしゃべる。映像をみていると、そのにぎやかさにどんどん引き込まれる。そして気がつくと、たくさんの「ことば」に囲まれている。それは音よりもうるさいくらいだ。

言語は世界をつくる。言語学で有名なランカスター大の研究では、自動車の方向へと歩いている人物の動画を見た英語を母国語とする人物は「人が歩いている」と言うのに対し、ドイツ語を母国語とする人は「自動車に向かって歩いている人」と表現する。行為者にフォーカスする英語と、行為の対象を視野に入れるドイツ語では見えている世界が違う。言葉はレンズとなって世界を切り取る。望遠レンズと広角レンズではその切り取り方が違うように、ドイツ語と英語では世界の切り取り方が少し違う。
だからおそらく、日本語でしゃべる「話者」たちがみている世界と「手話」でしゃべる「ろう者」たちの世界とはレンズの違いからくる微妙に異なる世界だ。そしてその文化や考え方や生き方もちょっと違う。英語の世界とドイツ語の世界のように、どちらが幸福かとか豊かなのかとかということではなく、ただ違う。
そしてこの番組を見ていると「手話」でにぎやかに過ごす彼らの世界は「日本語」の世界に囲まれながら独自の文化を持っているようにみえる。囲まれている分だけ「日本語」の世界と「手話」の世界が交錯するわけで、僕らよりもはるかに多くの何かを感じ取っているようにも見える。

番組は、そんな「手話」の世界の彼らの様子を淡々と追いかける。その世界を大切に扱おうとするスタンスが映像の作り方にも現れている。そこがいかに愛すべき世界なのかがしっかり描かれる。そしてその「手話」の世界から「日本語」の世界へと漕ぎ出すときに何が起きるのか、そのこともしっかりと描かれている。異文化が接触するときに起きることを目の当たりにする僕たちは、そこで「日本語」に暮らす僕たちが「手話」で暮らす世界をどのように見つめればいいのか、を教わることになる。それがこの番組の大きな骨子でもある。

ETVは、視聴率という基準とは異なり、特定の視聴者(たとえば小学3年生だけとか、運動をしたい人だけとか)へと質の高い教育教養コンテンツをおくることを義務付けられたチャンネルである。だからこそいわゆるマイノリティと呼ばれる人々を対象としてそこから社会へとメッセージを発信できるような優秀な番組が作り出されてゆく。
こうした番組に接すると「ああ、ぼくたちはこのために受信料を払っているんだよな」と実感する。今後もこのスタンスだけは守ってほしい。

とてもぐうたらな社会学者。芸術系大学にいるがこれでも博士(社会学)。