人生というなのMy Quest
そもそも人生とは一体なんなのか、どこへ向いどうであればゴールなのか、皆さんは考えたことはありませんか。
私は何年もの間、この問いを自分になげかけ続けていました。
私自身が望む最大の人生のゴールは、「大好きな人の腕の中で、ディズニーアニメのヒロインのように、優しく温かく微笑みながら(そんなキュートでいけてる美しい私!♡と自分に最大限陶酔しながら)、たくさんの愛情に包まれて永遠の眠りにつくこと」です。(わかっています。私はなかなかの乙女なキャラクターをもった生物なのです。)しかしそうはいっても、大好きな人の方が先に逝ってしまう確率はいつだって0にはなりません。どんなに年下の人と結婚したって、相手が事故にあうかもしれないし、私がめちゃくちゃ長生きしちゃうかもしれないし(この可能性がめちゃくちゃ高い)、目標を自分で定めたって、結局は誰にもわからないじゃないか、「なんだよ、ク●ゴッド!」なんて1人で勝手にセンチメンタルに浸ったりしていたわけです。
しかし、一頻り思考の堂々巡りを楽しんだあと、私はある結論に至りました。
それは、その時その時の自分が大好きだったら、その時その時の瞬間を心から愛せていたら、その人生はある意味、正解と言えるのではないのだろうかという結論です。
だってどんなに考えても、何度も何度も考えても、形あるもの、いわゆる物質には必ず制限があるわけで、思い通りにならないことの方が多いわけです。だったらそんな制限に嘆く人生より、その制限までも受け入れ大切な一時にすることができたら、すごく幸せな気がしたんです。
そして私の中で次の問いが始まりました。
物質の制限に左右されず、全ての時を愛せる人生はどうしたら手に入るのだろう、という問いです。
あるいは、そんな人間になるのには、一体どうしたらいいのだろうかとも言えます。
どうしたら瞬間瞬間を愛し、どんな時の自分も愛せるようになるのでしょうか。
どうしたら物質にとらわれない生き方ができるのでしょうか。
私はここにこそ、人生の目的が詰まっているような気がしてならないのです。
物質というマヤカシにとらわれず、ただひたすらに、不確かな何かを全て丸ごと愛するということを学ぶことこそが人生の目的なのではないだろうか、そんな気がしてならないのです。
これはあくまでも仮説です。
そしてこの仮説は、肉体を持ち続けている限りおそらく仮説のままだろうと思います。
しかし、私はこの先の人生を通して、この仮説が限りなく真実であると証明できる、根拠はないけれど確かな自信が、心の中に芽生えているのです。
マヤカシに支配される人生ではなく、本来の自分のクエスト、つまり不確かなものを愛し続けられる自分に成長するための道を歩む覚悟を決めた時、心の傷も、回復へと向かう本当のスタートをきれるのだと思います。
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