乳がんの診断から1年。
今日は乳がんと診断されて丁度一年が経った日。思い返せば、この一年間は大病を通して人生というものを深く考えた一年でもありました。
仕事を辞め、挑んだ手術。収入がなくなり、貯金を取り崩す生活。なぜ自分だけがこんな目に合わなければいけないの?と苦しんだ日々。
それと同時に、病気になったことで人の優しさや怖さを知り、人生を見つめなおすきっかけとなりました。
自分の人生の終わりを意識するようになり、このままでは後悔しないかな?と自問自答する日々でした。
できれば病気になりたくなかった。
しかし、病気になってからの気づきは、人生の転機になったのです。
仕事を辞めて気づいたこと
乳がんの診断を受けた日。初期とはいえもう私は普通の生活は送れないんだと悲観する日々でした。
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当時、温泉ホテルの客室清掃をしていた私は、忙しく動き回ることで何とか気を紛らわせていました。
客室清掃はハードな仕事ですが、お客さんが喜ぶ姿を見ることで自分も温泉旅行に来たような気分になり、案外楽しかったのです。
体力もついたし、ダイエットもできたし。
客室清掃は女性ばかりの職場。人間関係は複雑で、大変なこともあります。
しかし、私には今でもランチに行く友達ができました。この歳で友達ができるなんてなかなかないですよね。
大変な仕事だけど充実していた日々は、手術のため終わりをつげました。悲しかった。
悲しかったけれど、仕事を辞めたことで、働き方を真剣に考え直し、この先、自分のやりたいことは何か、見つめなおすきっかけとなりました。
母からの言葉で気づいたこと
入院当日、ある人から連絡が来ました。
私の母です。
手術はいつ?と聞かれ明日と答えた後、ついポロッと、「手術怖い。」と言った私に、母は、「手術怖いよね。私ならうつ病になっちゃう。」と言いました。
私がどんな気持ちで手術を迎えようとしているのか、想像もつかないんだろうなと悲しかった。
母はいつも私に不安を植えつけるのです。幼少期からずっと。
好奇心は旺盛なのに、不安で自信がなく、チャレンジをやめてしまう事が多かった。
石橋をたたいて渡る性格は、もしかしたら母からの影響もあるのかもしれない。
母の発言は悲しかったけど、そんな風に冷静に考えるようになりました。
高齢の母に今更何か言いたいわけではありません。母には母の事情があったのだと思います。
母の不安を受け入れ続けたのは私自身です。
結局は、自分自身が変わるしかないのだと強く感じた母の言葉でした。
大切にしたい人とのつながりに気づいたこと
乳がんになって友達に病気のことを伝えました。その時に感じたことです。
数名の友達に伝えましたが、泣いてくれる人、優しく共感してくれる人、明るく、「手術終わったらみんなでご飯食べよう!」と誘ってくれる人。
それぞれのキャラで私を励ましてくれました。
中には、私の話にはあまり興味がなくずっと自分の話をする人もいましたが。
友達もアラフィフ。人生いろいろです。
親の介護や、自分自身の病気や事故、子供の進路など。
そんな中、私の話を真剣に聞いてくれた人たちはずっと大切にしたいと思うようになりました。
私も、友達に何かあった時には優しく寄り添える存在でありたい。
あっ、忘れてはいけない人が一人。
いまだに収入につながらないwebライターの活動を、頑張れと背中を押してくれている夫にも感謝しなきゃいけませんね。
日常を大切にしようと気づいたこと
私が手術する半年ほど前、長男が手首を骨折し、手術を受けました。
そのあとすぐ実父が胃潰瘍の手術。のちにがん発見。
2023年は身内が3人も同じ病院で入院・手術となりました。
いままでそんなことはなかったのに。
いつ何があるかわからないんだと強く感じた出来事です。
当たり前にある毎日が明日くずれてしまうかもしれない。
私が乳がんになったことだって、青天の霹靂なのです。
何があるかわからないからこそ、目の前の日常を大切にしたいと思うようになりました。
そして、自分の人生を後悔しないように好きなことをしようとも。
誰かのせいにしていては、いつまでたっても自分を満たすことは出来ないんですよね。
私を幸せにするのは、私しかいないことに気がつきました。
まとめ
乳がん診断から1年。私は自分に(私はどうしたい?)と問いかけることが多くなりました。
いままで、自分自身の気持ちに向き合うことがほとんどなかった気がします。
自分の気持ちに耳を傾け、何をしたいのか、何を大事にするのか、深く考えた一年でした。
がんになっていなかったら自分の気持ちなんて深く考えなかったかもしれない。
病気になって失うものもあったけれど、いい転機になったと感じています。
まだまだ人生折り返し。色々なことにチャレンジしていきたいと感じた1年でした。
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