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2月



2月って思い出がたくさんありますよね。
沼落ちした2014ソチ、連覇した2018平昌、そして最後の試合になった2022北京。

2/10、羽生結弦さんの最後の試合からちょうど1年が経ちました。

1年前の今頃は、SPで呆然として、翌日の公式練習で祈って、怪我の知らせを聞いて神様なんていないんだなあとか思って、FSのあともまた呆然としてた。そんで気づいたら翌日新幹線に乗って仙台にいた。金欠なのに。感情が迷子でした。


北京の演技は、見返すと頭がいっぱいになってしまうのでなかなか見返せません。そして、ただ幸せな記憶ではないけど大切な記憶なので、取り扱い注意で胸の奥に眠らせてます。

思い描いていた結末とは違うものでした。
羽生さんはきっと北京で4Aをクリーンに決めて、メダルも取って、、それで競技生活に幕を下ろすと思ってた。というか、羽生さんがきっとそれを望んでるんだろうなと思ってたので私もそれを願っていました。

だから北京の演技が終わったときは、正直ただただ辛かったです。
報われない努力があるなんて、そういう現実がこの世のどこかにあるんだとしても大好きな羽生さんにそれを身を持って体験して欲しくなかった。
辛いことも多かった4年間を、最後には報われたねって誰もが一発で分かるように綺麗に完結させてほしかった。
まじでファンって無力だなあと思いました。あんなに沢山の人が全国の神という神に空に海に太陽に月に祈り散らかしても、羽生さんの体を最後ほんのひと回しする助けにもなれなかった。だいぶ凹みました。



この北京五輪期間を終えてしばらくして感情はただひとつ、幸せでいてくれ!!!に収束していきました。
ほんとに、なんで自分でもこんな羽生さんの幸せをひたすら願ってるのかわからないけど、まじで幸せでいてくれって思ってました。
それが私たちに見える場所だと嬉しいし、むりだったら見えない場所でもどこでも良いから、好きなことをして好きなように生きて、ずっとずっと幸せでいて欲しいなあと、複雑だった感情が段々と一本化されていきました。
自分で言うけど、愛ですよね〜。羽生さんにはもう既にたくさんのものを貰ってるので、感謝してもしきれないので、その分幸せでいて欲しいと思いました。


なので、プロローグでの言葉は本当に本当に嬉しくて、ぐっちゃぐちゃに泣きました。

『たとえ報われない努力だったとしても
僕の歩んできた道のりが、無駄だったとしても。
僕なんかのスケートを観てくださって、
幸せを感じてくださったのなら
これ以上ないくらい、報われています。
僕は、幸せです』


嬉しすぎるので、クソデカ紙に筆で書いて勝手に都庁かなんかに貼り出そうとすら思いました。せめて回覧板に挟んどこうかな。

何が嬉しいかというと、
①羽生結弦さんが幸せであること
→しぬほどうれしい
②幸せでいてくれる要因に我々がなってること
→役に立っててうれしい
③この幸せ、我々の力で続けさせられること
→ずっと幸せでうれしい

あと、僕「なんか」は謙虚すぎるので、「宇宙で1番最高な俺が」に私が差し替えます。



北京で身勝手にわたしが感じていた無力さも、報われたようでした。

そして、私たちの前で滑る道を選んでくれたこと、本当に感謝です。
ファンの方々がついてきてくれるか心配、なんて不安がってましたが、もうついてくんなと言われるまでゾンビのように着いてくので心配無用です。
八戸の最後に「こんな景色もう現役終えたら見られないと思ってた」とかいって涙してたけど、そんなこと言われたら一生座席で見守り続けてしまう。チケットください。
羽生さんが見てほしいと思った時にいないなんて絶対にそんな寂しい思いはさせたくないので!
多分そんなふうに思ってるファンが死ぬほどいるのでまじでそれに関しては心配しないで欲しい。チケットください。



月日が経った今、北京五輪は結局、羽生結弦さんがいかに特別な存在なのかを証明するようなオリンピックだったんだなあと思います。
勝っても負けても、やっぱり羽生さんは特別でした。


そんなことを分からせるためのあの順位や結果ならば、まあそれはそれで美しいストーリーかも。
神様も普通じゃつまんないからと捻った上での結末なのかなとちょっと納得できなくもないです。
それに、点数とは別次元のところに大きな価値があるという事実は羽生さんのプロ活動をスタートさせる上での大きな後押しにもなったと思います。



羽生さんが最後の試合を終えてから1年、あの頃には想像もしなかったことが日々起こり続けてます。

ずっと恐れていたような、羽生さんのいない試合を見ては寂しさで咽び泣くなんてことも、羽生結弦のいない冬を過ごすなんてことも全くないです。羽生結弦さんめちゃくちゃいます。


東京ドームをひとりのスケーターが埋めるなんて、完全に伝説ですよね。

このドームの客席のファンたちが、中継を見守ってる世界各国の人々が、羽生結弦さんが歩んできた競技生活の答えです。



最後には「そういう競技なのか」と落胆してしまっても、採点やルールと向き合う苦しい日々を過ごしてきたとしても、思い描いていたような終わり方じゃなかったとしても、その枠組みの中でまっすぐに自分のフィギュアスケートを貫いてきた日々は無駄ではなかったと、私たちファンがその証明として存在するんだと思ってくれてたらすごく嬉しいです。


2014ソチ、2018平昌、2022北京、そして2023東京。

二月の大切な大切な記憶がまた一つきっと増えることが幸せです!本当にたのしみ!!!!!




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