わたしの「生きる」は食卓に
ここのところずっと体調が悪かった。
そのせいで一週間仕事に行けず、飲みたくない薬を飲まないと熱と寒気で夜も眠れず、病院に行っても原因がはっきりしない。痛い痛い、とひとりで喚いても症状が改善するわけもなく、名前も付かず、いつまで続くかもわからないこの状態に、ネガティブなわたしは完全に気が滅入っていた。
このままずっと仕事に行けなかったらどうしよう。
お金がなくなったらどうしよう。
何か怖い病気だったらどうしよう。
そう思うと不安で不安で仕方なくて、口内炎が4つもできてご飯を食べるのもままならないのに、薬を飲むためにはご飯を食べなきゃいけなくて。だんだんわけがわからなくなってきて、でもご飯は食べなきゃ、痛いけど食べなきゃ、よくわからないけど食べなきゃ、なんて考えているうちに、いつのまにかご飯を食べながらボロボロと涙が溢れていた。
「泣きながらご飯を食べたことのある人は、生きていけます」(TBSドラマ カルテットより)
この台詞がどうしても好きで、心にしたためて置いたのだけど、まさか自分がそんな状況に陥るとは考えてもみなかった。
でも結果的に、紹介してもらった大学病院で処方された薬を飲んだ直後、わたしの症状はすぐに落ち着き、仕事にも行けるようになった。薬を飲まなくても夜に眠れるようになり、口内炎も治ってご飯を食べれるようになった。
彼曰く、わたしはいつも悪いほうに考えすぎるのだそうだ。
泣きながらご飯を食べることは、必死に前を向くことなのだと思う。
どんなに辛くたって、生きていればお腹は空く。生きるためにはお腹を満たさなければならない。「食べる」とはとてもシンプルだけど、生きていく上で決して欠かせないことだ。
そしてわたしは、自分にそんな「生きる意思」や「生きる強さ」があったことに少し驚いた。別に死にたいわけじゃないけれど、普段から生死を深く考えることもないし、何よりわたしは生きることと死ぬことは別問題だと捉えているつもりだったので、自分の本能的な行動が意外だったんだ。
さて、今日もわたしはご飯を食べよう。
今は涙を流すことはないけれど、涙を流した日のことは、忘れないでいたい。わたしの「生きる」は、食卓にあるのだから。
世界はそれを愛と呼ぶんだぜ