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#私らしいはたらき方 を模索する旅 後編~ありのままを認めて積み上げていく~

2年前、新卒で入った会社を1年半で辞めた。

大学生の頃からインターン掛け持ちで週4働き、入社して初めての人事評価では、2等級昇進し、「最年少で事業部長になりたい!」と社長や上司に公言するくらいには、仕事に前のめりだった。

それがどういうわけか、たった1年半で仕事を辞め、大学・社会人時代を過ごした東京を離れ、いまは地元の奄美大島でサーフィンを中心としたゆったりペースで生活をしている。

早く1人前の仕事をして、結果を出して、認められるぞ!
と、鼻息荒く仕事に取り組んでいた2年半前の自分からは想像できなかった、いまの生活・働き方にいたるまでを記録として残しておこうと思う。

前編では、自分ではない誰かに憧れて苦しんだ過去から、自分にとっての幸せは自分の中にある、と気づくまでの過程を綴った。

今回は、そんな前編のつづき。前編はこちら↓


1.とにかく仕事が楽しく成長実感があった新卒1年目

「自分の人生は自分で創る!」をモットーに、3年後、5年後のありたい姿を描き、それが叶えられそうな会社に入社することができた。

入社した会社の理念は、「人の幸せに貢献し、自己実現する集団で在る」

学生時代に追い求めていた「幸せ」について考えることができ、自分らしくも働ける。私にとって、ベストな会社を選んだのでは? と思えるくらい企業文化ともマッチしていた。

もちろん、仕事を始めたばかりで、分からないことだらけだったけれど、日々できなかったことができるようになり、やれる仕事が増え、会社の人たちとの関係性も徐々に構築できてきて、毎日充実している、と言い切れる日々だった。

入社半年後の人事評価では、ありがたくいい評価をもらって、2等級昇給し、「最年少で事業部長になりたいです!」と公言するまでには、仕事に燃えていた。

2. 「できる」よりも「できない」が大きくなった時期

最初の半年間は、上司がいろんな調整をしてくれた上で、適切な仕事を振ってくれ、つまずいたらすぐに手を差し伸べてくれる。そして、そもそもなにもないゼロの状態からスタートだから、何をしても(仮に失敗しても)、
(経験値としては)プラスになった。

でも、下半期からは、小さいながらもプロジェクトのリーダーを任されるようになり、「有村さん、これはどうなっていますか?」とメンバーからも上司からも詰められる機会が増えていった。

ちょうどその頃、新卒のときの直属の上司は産休に入り、上司も変わったタイミングだったので、すべてが手探り状態だった。

今思えば、新卒1年目なのだから、分からなくて当然。素直に誰かに頼ったらよかったものの、その当時、周りからの評価が気になり、「すぐ確認します!」「やってみます!」と反射的に答えていた。

その一方で、これまで少しずつ重ねてきた「できる」が崩れ去り、「できない」ばかりが積みあがっていくのを感じていた。

3.すべてにリセットがかかった休職時期

どんどん外側と内側のギャップが大きくなるにつれ、直接言われたことはない、「期待外れだった」「全然役目を果たしてくれない」という見えない声で自分を苦しめ、一向に思うように進まない仕事に嫌気がさし、気づいたら心のSOSが体に現れるようになった。

夜寝付けない、夜中何度も目が覚め、朝は起きられない、仕事の夢ばかり見る、食欲がわかない、感情のコントロールが効かない、常に倦怠感がある、など。

何かがおかしい、と思って受診した病院では、中等度のうつ症状、「適応障害」だと告げられた。

幸い、早めに自分の不調に気づけたものの、そんな状態で仕事のパフォーマンスがあがるわけもなく、1ヶ月休職させてもらった。

それまで、仕事に一生懸命取り組むのはもちろん、通勤電車の中ではTwitterや本、Audiobookなどでインプットをし、気になるセミナーがあれば申し込み、と前に前に進み続けていたのに、プツンと糸が切れたように、寝る、起きる、食べる、をするのがやっとの状態になった。

そんな状態の中、できない自分を責めても、びっくりするくらい体も頭も動いてくれなくて、そんな自分と向かい合っているうちに、悪いところも含めて自分だし、自分と寄り添って生きていくしかないんだよなぁという気持ちも生まれてきて、徐々に自分を肯定するようになった。

4. 「できない」を口に出せるようになった復職時期

休職したのは2020年2月。

貯金を切り崩しながらの生活とコロナが始まったことで、経済面の不安・他者と関わることのない孤独感から、体調はまだ万全ではなかったものの、復職した。

まだ100%ではなかったので、周りに必然的に頼る必要があった。これまでは、周りからの期待に応えたい、の一心で、「頑張ります」「やってみます」となんでも引き受けていたけれど、このときから自分の得意なこと、苦手なことを少しずつ言葉にするようになった。

そうすることで、自分自身で勝手に自分に課していたプレッシャーもなくなり、それぞれが得意分野を生かして仕事することで、チームでの仕事が格段にしやすくなった。

とても勇気がいることだけれど、できないことはできない、と正直に言ってもいい、ということを学んだ出来事だった。

▼新卒1年目を振り返ったときの日記

5. 自分の内側に意識が向き、人生を大きく変えた新卒2年目

体調を崩したこと、そして世の中的にコロナの不安が大きくなっている中で、心身ともに整えることを意識した。

生活の中に瞑想やヨガを取り入れてみたり、寝る前スマホを読書の時間に変えてみたり、在宅勤務で家にいる時間が長くなったのを機に、断捨離を始めたり、働く環境・住む環境を整備してみたり。

これまで、「より前へ、より遠く、より早く」のライフスタイルだったのが、「ゆっくり、丁寧に、目の前の幸せを大事にする」ライフスタイルに変わった。

今までずっと外をぐるぐる回っていた意識が内に向いてきて、自分がやりたい生活、自分にとっての幸せ を改めて考え直した。

▼自分にとっての幸せを考えたときの日記


6. 「はたらく」より「暮らし」を優先し、奄美へUターン

自分にとっての幸せを考えたとき、出てきたキーワードは
「自然」「多様性」「自然体」「好奇心」「人とのつながり」

幸せだった日々で思い出されたのは、オーストラリア留学していたときのこと。適度に勉強し、友だちと語り合って、海や山など自然の中で遊ぶ。いっぱいお金やモノを持っていなくても、時間や人とのつながりがたくさんある。そんな日常はとても豊かで幸せだった。

そう思うと、いまの東京での生活は自分の幸せの形とは少し違うかもしれない、と気づき、多少の葛藤はあったものの、「奄美に帰る」という選択をした。

そこからは、上司に退職の意思を伝え、時期を相談し、引継ぎをし、家を解約し、引っ越し準備をし、とこれまでにないくらいテキパキと動いた2か月を過ごし、2020年7月中旬に奄美へUターンした。

7. 好奇心の赴くまま動いたニート時代

奄美に帰ってからは、奄美群島の離島をひとりで船でめぐったり、POOLOという旅好きが集まるオンライン社会人大学?のメンバーに会いに、日本国内を旅したり、近所のおじちゃんの畑仕事を手伝ったり、お手伝いしながら旅ができる「おてつたび」というサービスを使って、岡山と鹿児島に旅に出たり。

これまでやりたい、と思ってはいても、仕事を言い訳にやらなかったことをとことんやった。

自分でも気づかないうちに、心の中から湧き出る「やりたい」や「こうありたい」を無視して、「こうするべき」「こんなもん」と言い聞かせていたことに気づいた数か月間だった。

8. 目の前の困りごとに向き合う日々

ニート時代は、自分の気持ちの向くまま、自由に行動できて楽しかった。でも、その一方で、ゆっくりしたペースで日常と向き合うことで、それまで見えていなかった(あるいは見えないふりをしていた?)課題がたくさんあることにも気づいた。

奄美の場合だと、働き手不足や、中小企業の社長が多いことによる後継者問題、低賃金労働や、若者があまり島に戻ってこないこと、など。

この2年はこれにコロナも加わって、観光業に大きく依存する島の経済はかなり厳しい状況が続いた。飲食店やホテル、クリーニング業者、食品卸、八百屋、魚屋、いろんな人がつながっていて、「どうやってやっていくかね~困っちゃうよ」って笑いながら言っているけど、本当は笑えないくらい悩んでいるのも感じ取れた。

9. それでもなお、この島にこだわる理由

思わず見てみないふりをしたくなるくらい、課題も山積みのこの島。その課題に引っ張られて、暗い気持ちになることも正直ある。

しかし、奄美に帰ってきてからのこの2年。世界自然遺産にも登録されたこの島の自然に癒され、助け合いの精神が残るこの島の人の温かさに癒されてきた。そして、ふとした瞬間に「やっぱり生まれ育ったこの島が好きだなぁ~」という気持ちになるのだ。

自分の子どもの世代にも、豊かな自然と人とのつながり、集落ごとに残る伝統文化などを残していきたい。

だからこそ、課題をどうやって解決していくのかすべての道筋は見えないけれど、目の前にある小さな困りごとから解決できるように向き合っていきたいと思う。

10. 個人としての幸せとこれからのはたらき方

一時期は奄美のために何かしなきゃ!という気持ちが強すぎて、しんどい思いの方が大きかった。でも、いまはまずは自分が満たされた状態じゃないと100%で動けないな、と感じている。だから、これからも地元の奄美大島に対して何かしたい、という想いは持ちつつも、個人としてどう生きるか、も追及していきたいと思う。

そんな私が自分なりに思う幸せの形は
「精神的・経済的にも自分の足で立っていて、その上で自分にとって大切だと思えるコト・モノ・ヒトにお金と時間を使える状態」

その状態を達成するには、こんなことが必要かなぁと感じている。


・感性を損なわないだけの時間的・精神的余白を持つ
・会社以外にも複数の収入の基盤を持つ
・何かプロジェクトをするときに貢献できるだけのスキルを身に着ける
・困りごとでも嬉しいことでも報告できる仲間を持つ

頭の中

そんな想いもあって、いま参加しているのが「スラッシュワーカーズ」のコミュニティ。

スラッシュワーカーとは、スラッシュ( / )で区切るように、複数の仕事を同時並行して働く人、という意味らしく、職種ごとのスキルを動画で配信しているのはもちろん、それぞれが自分の理想の生き方をするために、自分に合った働き方を取り入れるという考え方がとてもしっくりくる。

最後、突然スラッシュワーカーズの宣伝みたいになってしまったけれど(笑)今回、コミュニティ内で自分らしい働き方のnoteをみんなで書いてみよう!となったのもあって、この振り返りnoteの執筆に踏み切れたのである。

もし、自分らしく生きるために生き方も働き方も模索していきたい!って方は、覗いてみてもいいかもしれません☺


サポートいただいた分は、これからも楽しく執筆を続けられるように、大好きなチャイやちょっとしたおやつ代にします♡あとは、ステキだなぁと思った方のサポート代に回していきたいと思います。