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小さなハプニングと大きなハプニング

学校に行くことも遊びに行くこともなくなったから、意識的に散歩に行くようになった。あたたかくて気持ちのいい天気のときを選んで、部屋着からラフな格好にマイナーチェンジして外に出る。晴れの日には外に出て、雨の日には家にいる。こんな日々がかれこれ2か月以上続いている。でも先日、雨の降っている夜に、ワンピースを来て傘を差して散歩に出かけた。周りに人がいないのを確認して、傘をぶんぶん振り回してみたり鼻歌を歌ったり。散歩はいつも楽しいけど、この日はいつも以上にウキウキだった。でもその時は、なぜこんなに気分が上がっているのか分からなかった。雨の日に外に出るなんて、別に特別ではない日常のことで、むしろ憂鬱なことのはずだ。

もともとおうち時間の好きなわたし。普段のように楽しく過ごす日常のなかに、今だからこそ出来る特別な非日常もたくさん取り入れた。それはそれで刺激的で楽しかった。一方雨の日のお出かけは、いつもとは違うけど決して非日常ではない、よくある出来事だ。けれど、晴れの日に外に出て、雨の日に家にいるというのが予定調和的な日常になっているわたしにとっては、雨の日にわざわざ外に出てみるというのは「脱・予定調和」的な出来事だ。外出自粛で奪われてしまった日常はたくさんある。授業終わりの売店での友達との遭遇。ウィンドウショッピング中の運命的な出会いと衝動買い。おうち時間では、こんな偶然の出会いも無ければ最悪のハプニングも起こらない。毎日が予定調和でつまらなかったのだ。心がハプニングとか「脱・予定調和」的な出来事を求めていたから、あの日のわたしはウキウキだったのかもしれない。「脱・予定調和」は、発見やイノベーションのためには必要不可欠なことだと思う。起こる出来事が予想出来て、対処する方法も分かっていて、最短距離を進んでいくことになってしまう予定調和の中では試行錯誤の余地はなく、新たな気づきもない。これは、ゼミでも越境先でもよく聞く話だ。おうち時間の日々でわたしが実感したのは、日常生活にこそ「脱・予定調和」が必要であるということだ。

そして、「脱・予定調和」な日常は心と体にも良いと気づいた。わたしの心はしきりに上がったり下がったりを繰り返す。落ち込んで家に引き込もるわたし。メッセージの返信が滞り、食事もデリバリーで済ますようになる。それでもいよいよ外せない用事のある日が来ると外に出て、突然の雨に降られてもっと落ち込んだり、偶然会った友達と笑顔で話して少し元気になったり、仕方なく行った飲み会が案外楽しかったりする。そうすると、自分でも気づかないうちに元気になっている。外に出て、小さなハプニングがいくつも起きて、いつの間にか回復していく。最近のゼミでは「自分のことをコントロール出来るようになろう」とよく言われる。調子の悪いことに気づいて早めに休むとか、集中できていないことに気づいて集中するために身体を動かすとか。わたしは、しきりに上下する自分の心をコントロール出来ずにいた。だがこのおうち時間の日々に、予定調和の毎日では起こらない、日常の小さなハプニングが落ち込んだ心を癒してきたということに気づけた。自分をコントロール出来るようになるために大切な気づきだ。無意識に過ぎていく日常では、わたしにとって大きなこの発見は得られなかっただろう。これは2か月外出自粛せざるを得なくなったという大きすぎるハプニングのおかげだ。小さなハプニングと大きなハプニングがあってこそ、keep healthy、そしてkeep changeが叶うのだと思う。

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