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「ちがいを面白がる」ということ

8月の終わり、新ゼミ生募集用のゼミシラバスの作成真っ只中。慣れない文章のレイアウトやデザインにすごく苦戦して、疲れがたまってきているころに「早朝読書会」に参加した。朝8時からzoomに集い、それぞれが読みたいけどまだ読めていない本を読んで考えたことや感じたことをシェアする読書会。わたしは、伊藤亜紗さんの『目の見えない人は世界をどう見ているのか』を選んだ。この本は、インタビューやワークショップ、日々のおしゃべりを通して、身近にいる「自分と異なる体を持った存在」である目の見えない人と、見える人の違いを丁寧に確認していくという本だ。

春学期のゼミの読書会では、本をはやく読み進めることよりも、読んで自分だけの「妄想」を膨らませていくことを意識して読んだ。久しぶりの読書時間にもわたしのページをめくる手はたった1ページで止まってしまった。わたしの妄想をどんどん膨らませていったのは、「目の見えない人は、目に依存し過ぎている私たちが捉えた世界と「別の顔」の世界をとらえている。逆に、見えない世界しか知らない人にとっては、目で見た世界が「別の顔」になる」という内容。目が見える見えないだけではなくて、価値観や考え方の違いもそれに当てはまるだろうと思った。わたしは人との大きな”ちがい”に直面した時、もうダメだという気になったり、途方に暮れたりしてしまう。だが「見ている世界は同じだけど、ただ同じ世界の別の顔を見ているだけ」。これにわたしは大きな納得感を抱いた。

今までなんとなく腑に落ちていなかったある言葉が頭に浮かんできたのだ。「ちがいを問題として捉えるのではなく、ちがいを楽しむ」。これは、去年のゼミレンジャーで「私たちは”ちがう”人とわかり合えるのか?」というテーマでトークセッションを開いたときにNPO法人soarの工藤瑞穂さんが言っていた言葉だ。とても印象的で、素敵な考え方だと思っていたけど、その考えを自分のものにしきれていない感覚があって、ずっと心の中に残り続けていた。それはきっと、わたしの中に「やっぱり”同じ”状態の方が良いのではないか」というしつこい前提があったせいだ。自分と”ちがう”人は、自分と違う世界に生きていると思い込んでいたからだ。だから、人との大きな”ちがい”に直面した時、大変だと感じ、「もう嫌だ」とネガティブに捉えてしまっていた。でも、この本を読んでやっとその前提が覆された気がした。同じ世界の「別の顔」を見ている人と対話すること、それは楽しいことだし、とても大切なことのように思える。わたしと”ちがう”人は、わたしと同じ世界の「別の顔」を見ているだけなのだ。

ニューノーマルを創っていく中で、長岡ゼミでは同調圧力が働かないようにすることを特に意識している。「同じであることの方が良い」という考えは同調圧力の原因になる。今までの自分の考え方が、そしてそれほど自覚的でなかったことが、こわくなった。また同調圧力は、違いを排除しようと意識的に働かせようとする時だけではなくて、違いに気づかないことで無意識に働いてしまっていることが多くあると思う。一見自分と同じように見える人も、明らかに”ちがう”人も、自分と「同じ世界」に生きる、別の人。その新しい前提を忘れずに、ちがいを面白がり、大切にしたい。

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