ゆるやかな坂をのぼるように
春学期のゼミが終わり、授業も終わり、8月に入った。小学生のころから去年までの8月は、もう夏休みをエンジョイしている時期だった。だが今年はまだ課題に追われていて、わたしにいつもの夏休みはやってきていない。
去年や一昨年とは勝手が違う8月に入った先週、レンカフェで先生とゼミ生数人で、来週あるイベントのアイスブレイクの準備をしていた。ワークショップの準備では、まずやってみることが大事。和気あいあいとやってみていたときに、レンカフェにその日初めてのお客さんがやってきた。岩手県の釜石で教育に関わる長岡研のOBが、元気いっぱいの高校生数人を連れてきてくれたのだ。いいところに来てくれた!イベント当日は高校生もいることだし、初めましての高校生たちと、お題の「好きな○○」を話しながら自己紹介していくアイスブレイクをやってみる。まずはわたしから自己紹介。「なつです。好きな調味料は、九州のお醤油。好きな県は京都。よろしくお願いします!」同じお題で、他のゼミ生も自己紹介した後に、高校生たちも自己紹介してくれた。初めましての人、それも大学教授と大学生の前でこんなにしっかり自己紹介出来るなんて、わたしの高校時代とは大違いだ…。一通り終わった後、先生とゼミ生で今後の打ち合わせをしている間に、高校生からチャットが飛んできた。「大学に入る意味ってなんですか?」。急に面白い質問だ。まだほぼ自己紹介しかしていないのにこんな質問をしてくれるなんて、これは良いアイスブレイクなのでは、と思う一方で、これから受験を迎える高校生にとって重要な質問だと、少しドキッともした。
打ち合わせが終わって、いざ質問に答えようと高校生の方を向く。同じ画面内にいるのだけれど、椅子の向きを変えるような感覚だ。私たちが話している間に、新しい高校生が画面に入ってきていた。先生が名前を尋ねると、「なんだと思いますか?」と返事。私だったら絶対普通に名前言ってるところ、まさかのノーヒントで名前を当てさせる流れ?!やっぱり、高校時代のわたしとは全然ちがう…。元気で明るい子たちで楽しい雰囲気だけれど、やっぱりさっきの質問には真面目に答えるべきだと思った。考えてみて、まず私の頭に浮かんだ回答は「世界を拡げること」だった。この回答は長岡研究室の公式回答の一つにもなりそうだけれど、本当に私が実感していることだった。高校生たちはうんうんと話を聞いてくれていたけど、その時は正直この世界が拡がった感覚は伝わっていないのではないかと思った。そうだとしたら仕方がないし、それでいいとも思った。やってみれば、入ってみればきっと世界が拡がる感覚を味わえるし、やってみないと分からないとも思う。当たり前のことだけれど、経験をしたことがなかったり想像できなかったりすることは、やってみないと分からない。「じゃあ、大学に入って変わったことって?」という話に。これには答えるのが難しかった。「全てが変わった、価値観も、行動も、何もかもが変わった。」としか言えなかった。その時先生が「なにが変わったというより、見ている世界がちがうという感じじゃない?」と言ってくれる。まさにその通りだと話した。たしかにわたし自身も変わったけれど、自分が変わったことよりも見ている世界が変わったことの方が重要な気がしたのだ。見ている世界が変わって、周りにいる人が変わる。大学に入って出会う人は、知性を磨き、答えのない問題に試行錯誤しながら立ち向かっている人ばかりだ。用意された正解だけを追い求める世界から、そういう世界の入口に立ったわたしは、ゆるやかに変わっていった。社会を見る視座が変わって、社会の問題が他人事ではなくなった。行動もだんだん変わってきた。見える世界が変われば、おのずと価値観や行動も変わる。普通に考えれば当然のことなんだけれど、高校生のわたしに今伝えたいことはこんな当然なこと…気づけばわたしは、自分とは大違いだと思っていた彼女たちに数年前のわたしを重ね合わせ、過去のわたしに話しているような気になっていた。性格だけではなくて育った環境も経験も全くちがうのに。彼女たちは、わたしなんかよりも世界が変わったり広がっていく感覚を味わったことがあるかもしれないと、その夜はかなり反省した。
彼女たちに数年前の自分を重ね合わせてしまったことを反省しながら、大学に入る前のことを振り返った。お世辞にも治安がいいとは言えない福岡の公立中学校で、勉強なんてせず毎日吹奏楽部での練習を頑張っていたわたし。部活が終わった8月から、受験勉強を始めた。今まで全く勉強をしていなかった私の成績は一気に見違えるほど伸びた。自分の練習だけではコンクールで勝てない吹奏楽とは違って、自分が頑張れば頑張るほど伸びる成績。それが嬉しくて、受験勉強は楽しかった。そのまま成績は伸び続け、学区で一番偏差値の高い高校に合格した。自分はなんでも出来る感覚だったし、なんでも知っているような気がしていた。高校に入ってからも真面目に勉強ばかりした。成績も結構いい方で、やっぱりなんでも知っている気がしていた。学校に行かなくなったり浪人したりしたけれど、それでもわたしは答えのある受験勉強の、勝ち負けの世界に生き続けた。それ以外の世界を想像することも出来なかったし、今生きている世界が全てだと思っていた。そんなわたしの見える世界が拡がり、変わったのは大学に入ってからだ。大学に入ってたくさんの知らないことに触れ、知らなかった世界で生きる人に出会う経験をした。世の中には、未解決の問題が溢れていること。フードロス、多様性、環境、教育格差、地方の衰退。それらの問題には、ほとんどの場合答えがない。世の中には色々な立場の人がいて、一つの問題には様々な問題が関わり合っていること。単眼的なモノの見方では解決しない。経済合理性以外のことも大切にする人は沢山いるし、一度職についても大学に入りなおして勉強する人、一つの仕事だけではなくて並行していくつかの仕事に就く人もいる。それに、答えがないから計画してその通り進めることも出来ない。やってみながら、計画を修正していくという姿勢が重要・・・高校時代、全ての物事には正解があるのだと思い込んでいた。普通に就職して、普通にビジネスの世界で生きていくのだと思い込んでいた。わたしは大学に入って初めて、想像もつかなかったような全くちがう世界に触れた。大学に入ったら世界変わるよ、あなたが知らない世界はいくらでも拡がっているんだよ、そう伝えたいのはこんな過去のわたしに対してだった。
この春、世界は大きく変わった。それに伴って、先生が3月から言っていた「keep healthy」という最初はピンとこなかった言葉がだんだん自分のものになり、いつの間にか健康への価値観は変わっていた。答えのない問題が自分の問題として直面してきた。大学に入って、世の中には答えのない問題が溢れていることは分かっていたけれど、その問題が自分のまさに目の前に立ち現れたのは初めてだった。誰も答えを知らない中、「わからない、難しい」で済ますことは出来なかったのだ。コロナ禍で何かしらの意思決定をするということは、自分なりの価値観で行動するということだった。「ジブンゴト」として認識するということがどういうことか、分かるようになった。この大きな世界の変化のなかで、またわたしはいつの間にか変わっていた。大学に入ってゆるやかに変わってきたわたしは、この世界はどんどん変化していくもので、世界には想像も出来ないことがまだまだ広がっていることを知っている。その変化に向き合いながら生きて行けば、これからもわたしはゆるやかな坂を上っていくように、気づかないうちに変わっていくだろう。課題を無事に出し終わっても、きっと去年までと同じ夏はやってこない。