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問いフィーバー

2019/10/19 初めてサルベージ・パーティに参加しました。そのサルパは女子限定イベントで、10数人の女子大生がアパートの一室のイベントスペースに集まってアットホームに開催されました。みんなで限られた食材からメニューを考え、みんなで手分けして調理し、みんなで一つのテーブルを囲んで食べる。「おいしいね」から始まる自然な会話と交流。いつもの自分と違って緊張感のない越境。“カフェ”において食事は重要な役割を果たすことをまさに実感しました。私もインフォーマルで自然と対話や交流が生まれる場づくりをしたいと思って、私が関わっている多摩市若者会議の拠点、未知カフェでサルベージ・パーティやりたい!と話すと、興味を持ってくれた子が声をかけてくれて一緒に企画・開催することになりました。

ゼミの4年生、めろんもチームに参加してくれて、3人でミーティングを行いました。そこで話題になったのが、私たちはなんでフードロスに取り組むんだろう?という話。正直わたしはふわっとしていました。だって、サルパやりたいってなったのも「面白そう。私もこんな場作りたい。」みたいな思いつきレベルな考えだし。いまいち私はフードロスを”ジブンゴト化”できていない感覚でした。一方でその子の答えは、「食を疎かにしたり捨てたりすることは、食事を友達や家族と食べる楽しい時間を捨てることだと思うんだよね」。フードロスに対しての興味レベルや知識レベルが私と比べてとても高い子なので、環境問題がーとか難しいこと教えてくれるのかなと思っていたので拍子抜け。フードロスの知識が全くない私にも、納得できる!これがまさにジブンゴトとして捉えることなのだと思いました。

その子のおかげでフードロスを以前より身近に感じられるようになりました。でもまだその子の言葉を借りて理解しているだけなんじゃないか…というか、自力で、自分の言葉でフードロスの問題を”ジブンゴト化”できなかったのはなぜなんだろう?と疑問に思いました。では逆に、“ジブンゴト化”の段階でこんな風に突っかからなかった問題は何だろう。女性のキャリア、LGBTQ、障がい者雇用、子育て、まちづくり…全部、不便に感じている人や社会を変えることでより生きやすくなる人が個人レベルで見える。一人間だと、自分に重ね合わせやすく、なんとなく想像もしやすいんじゃないか。フードロスって、その先にいる個人が見えないんだよな。だからいまいち実感がわかない。フードロスの何が具体的にダメなのか知りたくて、ネットで調べてみたりもしました。出てきたのは廃棄物処理による環境問題、食べたくても食べられない人が世界のどこかにいるのに捨てるっていう人道的問題、食料自給率との矛盾…やっぱりそうだ。スケールが大きすぎるし、そんな時”ジブンゴト化”の手助けになる個人の存在も見えにくい。

それでも、フードロスがダメなことはわかります。私も「もったいない」とか思うし。取り組まなきゃいけない理由も、調べれば理論的には分かった。でもそれだけでは社会を変える大きな力にはならない気がする。やっぱり、社会を変える第一歩は問題をジブンゴトとして認識することだと思います。”ジブンゴト化”って?わたしなりにかみ砕くと、自分以外、社会の問題を自分のスケールで考えられるサイズにリサイズして、自分の言葉で理解するという意味。では次の問いは、いまいち実感のわかないものをどう”ジブンゴト化”すればいいのか。問題の向こう側に個人が見えにくくてピンとこないのなら、想像すればいい?私の行動がその問題にどう影響するのか分からなければ、知性を働かせて知識を増やすことも必要?ヒントは…想像力と知性かなあ。問いが連鎖し続けて、収拾がつきません…が、この状態、なんとなくワクワクするなあ。

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