「大人になったら、何になりたい?」は、意味のない質問?
「大人になったら、何になりたい?」
そう聞かれたことはないでしょうか。
もはや子どもの時の記憶が曖昧なのですが、私は「おもちゃ博士!」って答えてました。
ただ、この質問には意味が無いと。
これは、オバマ元・大統領夫人であるミシェル・オバマさんの著書『Becoming』からの大事なメッセージ。
何かになったら、そこで人生が完了してしまうから。
たとえば、おもちゃ博士になったら、それで人生完了かというと、もちろんそうではない。
ファーストレディになったら、それで人生完了かというと、そうではない。
「大人になったら、何になりたい?」
という質問には、だいたい職業を答えると思うんです。
今でいうと、YouTuberとか。
でも、その職業になりたいというのではなく、その職業を通じて何を成し遂げたいか?が大事。
人生とは何かになることを目指すものではない。前に進むこと、より良い自分に継続的に変わっていくことだ。
私が尊敬している同時通訳者の田中慶子さんのこちらのVoicyの放送が大好きなんですが、ここで解説されています。もしよろしければ。
ちなみに私は、「大人になったら、何になりたい?」と子どもに聞くことはいいと思っていて、そのうえで「なんで、それになりたいの?」ということを問うのがいいのかなと思いました。
「何かになりたい」ではなく、どんな自分でありたいか?
いま運営しているコミュニティの3周年イベントを開催中なのですが、いっぱい気づきがありました。
そのひとつが、「何かになりたい」ではなく、どんな自分でありたいか?
たとえば、敬愛する辻愛沙子さんのセッション。
こちらのnoteに、ご参加者のみなさんの気づきも載っていますが、
私が持ち帰ったのは、辻さんのありかたそのもの。
一瞬一瞬、誠実な意思決定をする。
それが自分自身を形づくる。
「言葉」も同じ。
だれにこの「言葉」が届くか? を想像し、誠実に「言葉」を選ぶ。
自分の発する「言葉」の積み重ねが、自分の思想と信条をつくる。
そして、その思想と信条にもとづいて誠実に行動する。
この繰り返しなんだなと。
辻さんは、社会課題に対して、ビジネスとクリエイティブというアプローチで向き合い続けている。
なぜ、そんなことをし続けられるのか?
私が感じたのは、自分の目の前で起きている事象に対して、誠実に向き合う。それが、自分のありたい姿だから。
そんなシンプルなことなんじゃないかなと。私の勝手な主観なのですが。
私は、今回のイベントを通じて、自分のエゴとして「誠実な自分でありたい」と思っているんだなと気づきました。
たとえば、なにか問題が起きたときに、たとえ問題解決をできなくても、問題に向き合うこと自体が大切。なるべく誠実に。そして、嘘をつかないように。
その意味でほんとに発展途上だし、口だけにならないようにどうすればいいか模索しつづけています。
でも、その「誠実な自分でありたい」という気持ちで模索しつづけること、それ自体が人生なんだなと。
人生とは何かになることを目指すものではない。前に進むこと、より良い自分に継続的に変わっていくことだ。