見出し画像

『働くということ』を読んだら、選ばれようと必死になっている自分に気づいた

いきなりですが、「競争」って好きですか?


いま話題の『働くということ~「能力主義」を超えて』という本を読みました。

おもしろかったです。

私たちは、小さなときの学校教育から、偏差値だのテストだので、「優秀」さを求められて、足りない「能力」を身に着けることを求められてきたと思います。

社会人になってからも、会社に評価をされて、「能力」を高めることを求められます。同僚などのライバルと「競争」をし、どうやったら選ばれるのか?と、無意識のうちに考えます。

この本では、このような「能力主義」を否定しています。


え、どういうこと?
と思われるかもしれません。


このnoteで、本の学びから自分なりに考えを深めていきたいと思います。



なぜ、「能力主義」が問題なの?

そもそも、「能力主義」って問題なのでしょうか?

たとえば、

・学校であれば、受験などで「能力」を問われ選ばれる。
・会社であれば、評価などで「能力」を問われ選ばれる。

『働くということ~「能力主義」を超えて』

当たり前のように行われていることですし、これがあるからこそ社会が成り立っていると考えることもできます。

でも、私自身の経験でいうと、

結婚・出産を機に、時間的な制約ができて、「選ばれる」という社会に生きづらさを感じるようになりました。

特に、いまだに根強い男性中心社会。

これまで、男性中心でつくってきた組織論や仕組みのなかで、どうしても「長時間は働けないよね」「となると、管理職は難しいよね」と、「競争」に入れないことが出てきます。

本にはこう書かれています。

この終わりのない競争の綻びは、先の子どもの自殺者数最多のニュースのように、確実に見えています。それも含めて弱肉強食、それが社会だよ、なんて・・・どの面下げて、次世代に言えましょうか。
死者が出続ける、脱落者が続出するような競争は、ルールがおかしいと思いませんか。

『働くということ~「能力主義」を超えて』

ハッとしました。

無意識のうちに「選ばれよう」と必死になっている自分に気づいたんです。

巷にあふれている「○○力」を身に着けなきゃ。
取り残されるんじゃないか…

こんな不安が、心のどこかにあると思います。

必死で本を読んだり、講座を受講したり、もがいている気がします。


でも、能力主義だけじゃ立ち行かないよね。

となったときに、じゃあ、どうすればいいの?


この本からの気づきはたくさんあったのですが、3つにまとめてみます。

1.「個人モデル」ではなく「社会モデル」で考えてみる

「個人モデル」と「社会モデル」の考え方をご存じでしょうか?

「個人モデル」:問題は「個人」にあると考える
「社会モデル」:問題は「社会」にあると考える

・会社で活躍できないのは、個人の能力が足りないからだ。

・だから、個人の能力を育成しよう!

と考えるのは、「個人モデル」の考え方です。

この考え方に基づくと、「じゃあコミュニケーション力、リーダーシップ力を高めよう」となります。

一方、

・会社で活躍できないのは、会社の仕組みに問題があるからだ。

・だから、会社の仕組みを変えよう!

と考えるのが、「社会モデル」の考え方です。


個人にアプローチすることも大事とは思いますが、それが行き過ぎるといつまで経っても「自己責任論」で片づけられてしまう。仕組みが一向に変わらずに、生きづらさを感じる人が増えてしまう。

なので、「社会モデル」で考えてみるのが大事と思います。

私自身、母親のコミュニティを運営しているのも、まさに「社会モデル」の考え方です。
自己責任、自己解決しなければいけない社会だと、社会課題は再生産され続けてしまう。

なので、社会を1ミリでも前進するには、課題をシェアし合って、励まし合うつながりがあるのが良いと思い、活動を続けています。

本にはこう書かれています。

明確に「〇〇力」と呼ばれる能力主義だけが生きづらさを与えているのではありません。問題の根源は、「一元的な正しさ」に社会が支配されていることです。多様なはずの人間にとって、「正義」の名で選択肢を狭めることが息苦しいのです。

『働くということ~「能力主義」を超えて』


「できが悪い」と言われている人も本当にそうなのでしょうか?

社会や組織が勝手に「これが正しい」と押し付けているだけで、実はそうではないのでは?

との疑問がでてきます。

たとえば、この本のなかでは「テレアポが無理な営業部員」の例がありました。

なんで、テレアポできないんだよ!

と言われても、苦しいです。

私もテレアポが苦手だし、知らない人にいきなり電話かけるのが恐いので、気持ち分かります。

これを「個人モデル」ではなく「社会モデル」で考えてみると、この人に合ったやり方があるのでは?

とのことで、既存の契約の保全活動をやってもらうようになったら、笑顔を取り戻したとのこと。

2.「足りないもの」ではなく「あるもの」で活かし合う

本のなかで印象的だったところを引用します。

言動の「癖」や「傾向」は個人個人で違いがあります。その「持ち味」同士が周りの人の味わいや、要求されている仕事内容とうまくかみ合ったときが「活躍」であり、「優秀」と称される状態なのではないでしょうか。

『働くということ~「能力主義」を超えて』

どうしても、「既存の正解」に当てはめて、「足りないもの」に目がいってしまう。

先ほどのテレアポの例でいうと、

・既存の正解
テレアポ=新規の顧客開拓
強気に、「買ってください」とアピールできること

・足りないもの
新規の顧客開拓をする能力

「足りないもの」ではなく「あるもの」に目を向け、活かし合うという考え方をすると、こうなります。

・あるもの(持ち味)
相手の求めているものを聞き出せる、くみ取れる
丁寧に、誠実にフォローできる

3.目の前の相手を「受け止める」

「勝ち負け」や「能力主義」との問題点は、

・負けてしまう者
・取り残されてしまう者

が出てしまうこと。

大事なのは、

「能力」で良し悪しを決めるのではなくて、

目の前の相手の「ありのまま」を「受け止める」こと。


でも、それが難しいんですよね…

この本のなかでは、著者の勅使川原さんがどのように相手を「受け止めて」いるのか?が会話形式で書かれています。

たとえば、

「今、その笑ったお顔を拝見して嬉しくなったんですが」

「お互いを思いやっている、素敵な師弟関係のようですねぇ。誰も無理させたくないし、無理したくないですよね。長い目でみて、誰のためにもなりませんから。ぶっちゃけ、お仕事のどのあたりが特にしんどいですか?」

「お話してくださってありがとうございます。つらいですよね。」

一言一言に、丁寧に相手を受け止めていることが伝わってきます。


この本を読んで、知らぬ間に「能力主義」がしみついてしまっていて、優劣で人を判断してしまっていたこともあると、ハッとさせられました。

色んな人と対話してみたいです。

▼気になった方は、ぜひ読んでみてください!


いいなと思ったら応援しよう!

なつみっくす|著書『I型(内向型)さんのための100のスキル』
お読みいただき、ありがとうございます!もしよろしければ、「スキ」やシェア、フォローいただけると泣いて喜びます!ありがとうございます!