雑感#6.人生の問題を、他人は解決できない
人生が停滞している(という自認がある)人のセルフトークを観察してみた。
「あのとき○○がこう言ったから」(過去思考)
「○○がいるからやりたい事ができない」(他責思考)
他者に対してネガティブな執着が目立った。
多くの先人が言っている事。
人のせいにして、被害者の顔をして生きると、次に進まない。
文句を言いながらも、その環境が快適な空間で、暮らしの一部として受け入れているから。
自分の時間を大切にできない。
だからこそ、自分の為に、時間を使ってくれる他者のことを大切にできない。
見ないふりをして、蓋をしてしまう。
誰かが解決してくれることを待ち続けてしまう。
与えてくれる事を、ここから連れ出してくれることを、期待してしまう。
なかなか根本解決しないから、不満が溜まる。
次の問題がいつ起こるのかと、不安が募る。
また、感情や状況を見ないふりしてしまう。
身近な人、周囲の人で近い状況のケースについて相談を受ける事がある。
優しくて、自分の時間を投入してでも、変化を促してあげようとしている方が、悩んでいることが多いように思う。
私は以下の3点を、いつも伝えている。(意識している)
①「人の問題なので、わざわざ触らなくて良い」
人生は自己責任が基本だから、
人の問題を他人が解消してあげようとすると、責任への歪みが生まれる。
マインドを自分でマネジメントできるからこそ、初めて自分の人生を生きている心地を得られる。それは、他人が与える事はできないと思っている。
本人が生み出した問題を、他人が解消しても(しているように見えても)、もぐら叩きが続いてまた次の問題が起こる。
「人間は病が好き、被害者である事が好き」
とある脳と心の先生が言っていた一言に全てが詰まっている。
そうしているうちは、自分の人生を生きている度合いはどうしても下がってしまう気がする。
②「本人が望んでその場に居続けているから、他者が変えようとしなくて良い」
自分の人生の状況を受け止められないときに、嫌な要因を作っていると感じる対象に、恨みや嫌な気持ちを持ってしまいがち。
それでも、解消に向けて向き合い続けていたり、対象と関係性を持たずに自分のゴールに向かう選択を取っていないのは、本人の選択の結果。
どんな選択も本人が決めていることだから、他者が介入しなくて良い気がするし、私の場合はどんな選択も尊重しようと思っている。
③「助け船を出す程度で、自分の時間を使ってまで支援しなくて良い」
助ける側にも、当然沢山のゴールがある。
日々それらを追いかけており、沢山の人と関わりを持っている。
適切ではない関係性で時間を使ってしまうと、本人のみならず周囲の時間を無駄にしてしまう。
お互いのゴールを一部でも共有して、ゴールの過程で必要な「価値」を適切に交換し合えるから、心地よい関係性が築ける。
「助ける」意識が強く生まれてくる関係性、どちらかに寄りかかる関係性であるうちは、どちらも次に進めないのではないかと、最近は考えている。
同業二人であることが、人が進むには必要なのではないかと。
個人を個人が助ける、というのはとても負荷がかかる事。
それに、個人が個人に直接してあげられることは、実はあまり多くはなのだろうと考えている。
助けられる側は、大体の場合エネルギーが不足しているから、助ける側からエネルギーを貰って一時的に元気になる。
せっかく元気になったと思っても、普段の習慣が歪んでいるから、また不満を溜めたりエネルギーを不足させやすい。自分ではどうしようもできないから、再び助ける側に頼ってくる。
自力がとても弱く、依存した状況を当たり前として享受してしまう。
助けた側の努力もあまり実ることはない。
人生をどう過ごすかは、他人がどんな支援をしてくれるかどうかではなく、ゴールに向かっていかに歩み続けるのか、必要な事を自分でやり続けるのか、でしかないとつくづく実感する。
助けたくなっちゃう人は、ただ自分の人生に集中するだけで十分なのかもしれない。
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