ただ料理を教える先生でいたら、8年も生き延びられなかった。
わたしには「好きで得意なこと」がたくさんあります。
でも、好きなことで生きていくと決めて走り続ける中で、本当は「好きで得意」と言いたいけれど「料理の人、料理家」という肩書きの中に収まりきれない能力を表立って見せてはいけない…と思ってきました。
|「料理を教える以外」の能力
どこかで学んだり習ったわけではないけれど、全て、好きなことで生きていくというサバイバルな環境の中で自然とできるようになりました。
正直に言えば「レシピを考える」のが一番頭を使って、力んでやってきたかもしれません。
「料理という軸がなければ、評価されない。他のことが得意と大々的に言わないほうがいい。結局あなたは何の人なの?と輪郭がボケるだけ。」という思い込みがあったんです。
|やっと「肩書き」に許可がおりた
実は、最近になってやっと「料理家」という肩書きに(自分の)許可がおりたんです。
何がキッカケだったかと言えば、オレンジページ編集部との書籍の打ち合わせ時に送った一通のメールでした。
思い切って本音を綴ってみたんです。
そうしたら「わたしは私なのだからこのままでいいや」って、フッと脱力できて、意識がみるみる変わりました。
多様性の時代の今、もう「料理家も画一的でなくていい」「料理を教える以外の能力がいっぱいあるわたしも料理家って名乗っていい」って。
すごく変な話なんですが…。料理を教える以外の能力もgiftedのはずなのに、そのgiftedをどこかで否定していたのです。
|多様性の時代を生きる「料理家」になれ
「料理家と名乗る人は、ひたすらレシピを作り、料理にだけ向き合い続ける人(画一性のある人)でなければ名乗ってはいけない」という思い込みがありました。
でも「これからの時代に料理を作れるだけは、本当に届けたいメッセージが届けたい人に伝わらない(だから多様性のある人がいい)」とも思っていました。
つまり、アクセルとブレーキを一緒に踏み続けていたんです。
わだかまりがスーッと消えて、全部がわたしで、全部の能力を自分と誰かのためにフル活用しなさい!って、魂に言われたんです。
前例なんてなくていい。
ロールモデルに自分がなればいい。
肩書きを持ってもいい、けど縛られるな。
多様性の時代を生きる「料理家」になれ、と。
|本音で生きると「才能」がパカっと開きやすい?
とは言っても、引き続き「元気がなくても作りたくなるレシピとエッセイ」を綴っていきます。そのスタンスは変わりませんし、レシピを届けたい気持ちは変わりません。
むしろ、料理を教える以外の能力(gifted)も許可することで、今までに増してレシピとエッセイの発信への使命を感じるし、エネルギーがみなぎってくるようになりました。
「レシピを考えるのが一番頭を使って、力んでやってきた」と書きましたが、それさえも最近は脱力してどんどん湧き上がってくるようになり、noteの更新のほうが追いついていない状況になっています。
人間ってみんな、能力や才能(gifted)にいつのまにか蓋をしてしまっているのではないでしょうか…。
わたしも「〜でなければならない」が元々はとても強い人間なので…自分をがんじがらめにしてたのだと思います。
でもね、そんなのはもう要らない時代です。
その蓋をパカっと簡単に開けられる時代だけど、開けられるのは自分しかいないのです。
開け方の一つとして、本音を書いてみる、言ってみる、やってみるって大事なポイントかもしれません。
|これも得意!ステキな宿・お店探し
ここまで読んでくださり、ありがとうございました。
先日長野・乗鞍高原で泊まったお宿が、しつらえも、お料理も、ホスピタリティも、選書も最高で、至福のひとときでした。
こういうお宿(お店)を見つけるのもわたしの特技の一つです。
クチコミで「最高だから人に教えたくない」と書かれてた方がいたのも納得…!でも、大切な皆さまには伝えたくなっちゃう性。
松本から電車とバスで90分のところにあるので、車がなくてもアクセスできます。
それと、今回のエッセイのテーマ「gifted」とか能力開花のヒントになりそうな本をこちらのお宿で見つけて、食い入るように読んだので、ご紹介しますね。
この記事が誰かの目覚めにつながったらいいな…と思いながら、今回のエッセイを締めくくります。