ナマケモノは最期の最期まで争わない。
先日、あるお話会に行っていたのですが、そこでナマケモノの話が出てきました。なんとなくのんびり生きてる動物くらいにしか知識がなかったですが、ナマケモノの生存戦略がとても私の理想であり、とても親近感を感じてしまったので、忘れないうちに残しておこうと思います。
ナマケモノは動くのもスローペース、1日に食べる量も本当に少しだけ、食べた物を消化するのにも何日もかかる、そしてトイレ以外のすべての日常生活を木の上で過ごすそうです。
ナマケモノの天敵は猛禽類だそうで、ゆっくりとしか動けないナマケモノは襲われた瞬間に抵抗するわけでもなく、なるべく痛みがないようにスッと体の力を抜くそうです。
自分の生死がかかった最期でさえも争わず、その一瞬で自分の運命を受け入れ(…てるのかはわかりませんが。)、猛禽類の獲物となりやられてしまうそうです。
食べる量も少しだけ、なるべくエネルギーを消費しないようにスローに動き、木の上で一日20時間眠ります。この限りなくスローライフのおかげで他の動物との生存競争には参加せず今まで生き抜いてきたそうです。
ナマケモノの世界には争いがない。
最期は自分の人生だと受け入れ(…てるかはわかりませんが。)猛禽類にもやられてしまう。
猛禽類にやられたくはないですが、この生き方はすっごく素敵だなと思いました。
専門的に詳しく見ればいろんな意見やもっと深い理由があるのだと思うのですが、私なりに自分の中に取り入れるとすれば、このそもそも争わないってすごく魅力的な生き方です。
最近お金や時間について考える機会が増えたのですが、少なからず争うまではいかないにしても、競うという感覚は色んなところに潜んでいる気がします。他店との値段比較、品質、サービス。向上していかなければ、時代に乗らなければ、他と比較して抜き出た何かを持たなければ。
この感覚も大切なことは自分なりに感じていることではあるし、感覚に振り切って生きすぎると、それもまた現代では生きづらくなるのだとこの1年の赤字生活で体感もしました笑。(これもそのうち書こうと思っています。)
でもやっぱり何かをする上で争わないという気持ちが根底にある方が私は生きやすいなーって思います。現代の競う感覚って流行の中にたくさんあるような気がしていて、時代を追いすぎると新しいものにお金が必要になったり、情報の多さや流れの速さに自分の本来の感覚から少しずつ遠ざかっていっていることにすら気づけなかったり。
その争わないの方法が私なりに見つけた所有せずになるべくシェアして生きていたいなってことなのかなーって思いました。
家も1人で一軒じゃなくていい、物も自分のライフスタイルに合ったものでいい、時間に余白のある今のペースを維持できればある程度は不便でもいい、非日常を感じるような旅行じゃなくても、違う街の小さなパン屋さんを発見できるような旅でいい。
この生き方が誰にでも当てはまるわけではないし、大きな刺激を求める生き方でもいい。
私が今選択しているのが、時間をたくさん持って、日々の暮らしを楽しみながら、スローペースで生きるということだっただけ。スローで生きていると小さな幸せを拾いやすいんです。
ナマケモノのようにスローで生きて、たくさんの時間を味方にして、争わない。
この感覚を今は忘れないように毎日生きていたいなって思っています。