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私がエッセイを読む時と小説を読むとき。気まぐれ本選び。

私には、「エッセイが読みたい時」と、「小説が読みたい時」と、気分がぱっかりとわかれる。

それはとても顕著だ。図書館や本屋に行くと、自分がどっちの気分なのかはすぐにわかる。足が勝手に、どちらのセクションへ向かうを観察するのだ。それだけで私は私の気分が分かる。

この週末もそうだった。市立図書館で、エッセイの棚にしか足が向かわなかった。私は誰かの日常の端くれを読みたいと思っているのだな、と思った。生活の中の小さな出来事や、それから派生する小さな気分を大切に、文章にしている。そういう人のエッセイを読みたい。

と思えば、笑いたい気分で、おもしろエッセイを読みたいと思っている時もある。こうやって具体的に読みたい文章があると、書店や図書館でぱらぱらめくるだけで、なかなかこれだ!と見つけるのが難しい。でも実際に、家に帰って読んでみて、面白い!と思えるエッセイを見つけるのが、醍醐味だ。

そうやってエッセイの気分になっている時は、「小説を読む人の心なんか、わからないわ」とくらいまで思っている。そういう気分で、次々とエッセイ本を手に、立ち読みしているとき、私は自分のことを、なんとまあ、自分勝手で気分屋な読者だろうと、客観的に思う。

というのも、小説の気分の時は、いい小説との出会いをを模索している。小さな心変わりを丁寧に詩的に描写している、宝石のようにきれいな物語を読みたいと思っている。フィクションだから、できることが山のようにあると思っている。そういう気分の時は、「エッセイ?エッセイなんか生活に必要なの?時代はフィクションでしょ」くらいに思っている。

そして、その二つの他に、ごくたまに、「ノンフィクションの気分」という時がある。私が全く知らない世界で起こっている何かについて知りたいときに、そちらへ足が向いている。この間もその気分だったから、前から読みたいと思っていた数冊のノンフィクションを読んだ。フィクションの気分の時は、「やっぱり、自分が知らない世界のことを深く知るっていうのは人間にとって有益だな。本の意味って、結局そこに尽きるんじゃないの」と思っている。

私がどんなに極端な人間なのかわかっていただけるだろう。

エッセイのいいところ、というか意義みたいなものは、やはり誰が書いているかによると思う。くやしいけど。

エッセイの本を選ぶとき、私はその著者が誰だかよく知らなければ、必ず後ろにあるプロフィールを見ている。これは、ちょっとだけ嫌々の行為だったりする。プロフィールを見て本を選ぶということは、やぼったい気がして、本当はしたくない。プロフィールを見ることは、くやしい。「著者が誰であろうが、いい本はいいんだ」とわかった気になって言いたいからだ。

でも、日常のことを書いてあるエッセイとなると、やはりどういう立場の何歳くらいの人が書いているのか、女性なのか男性なのか、背景の情報が欲しい。なるほど、こういう人が書いているのか、と思ってからぺらぺらとめくると、内容が入りやすい。

一方、小説を選ぶときは、プロフィールはあまり見なくてもいいと思っている。

小説というものを語るときに、その本の著者自身のキャラクターや人柄というのは、あまり関係がない。今まで読んできて、お気に入りの作家というのはもちろんいる。あの人の世界が読みたいな、と思って本を選ぶこともある。でも、著者が全く知らない人や、新人であっても、プロフィールはそこまで見ない。話自体をとりあえず読んでみたいと思う。

小説の話を読む時に、まずはストーリーの面白さが外せないという人は、ミステリーや推理小説の部類に走るのではないだろうか。私は、そういう系統の小説を読んだことがないような気がする。今、思い出そうとしても一冊も思い出せない。友達に勧められたこともあったけど、いまいち気乗りがしないので、実際に手に取ったことはない。

私の中では、小説における良いストーリーというのは、第一条件ではない。気分によれば(またか)、大きなストーリーアークを描く、壮大な話を読んでみたいと思うことはある。けれど、それが第一条件ではない。小説の中で何が一番大切かというと、どれだけ私という人間が入り込めるかである。当たり前といえば当たり前かもしれないけれど、「そうだなあ」「わかるなあ」と思いたいのだと思う。

具体的にいえば、「この描写わかるなあ」「こう思うのは、私だけではなかったのか」というところまで感じたい。そういう小さな積み重ねで、その小説は私のお気に入りとなる。ストーリーがうまい、というのではない。

だからなんなのだ、と言われそうだけれど、こういうことに気が付いたのだ。週末に市立図書館に行ったとき、ああ今は、エッセイの気分なんだな、と自分で感じたからだ。一体どういうタイミングで、エッセイに振れるのか、小説の方へまた振れるのか、分からない。けれど、エッセイと小説を同時に手に入れることは少ない。

本に対してこんなにわがままで気まぐれでいられるのだから、私はもっと人生の様々な面において、気分だけで適当に生きていきたいと思う。


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