SAKANAQUARIUM 2024 “Turn”
幕張でサカナクションのSAKANAQUARIUM 2024“Turn”を観た。
オープニングムービーから泣けて泣けて仕方がなくて、買ったタオルがぐしょぐしょになってしまった。
ものすごく良かった、素晴らしかった。圧倒的だった。
それは演奏や音楽的なものだけではなかったし、音楽と作り手である人間が切り離せるわけがなかった。
他者の痛みをストーリー消費するつもりは決してない。しかしわたしもまた重いうつに苦しむ人を間近で支えてきただけに、色々と胸にこみ上げてくるものがあった。同病患者とはいえ、ひとりひとり違う。ぴったりとは重ならない、それでも。
あのステージを作り上げるために、調子の悪さと戦いながらリハビリをしていた一郎さん、そして支えてきたメンバーとスタッフの日々を思っては涙が出た。
闘病や支えは美談にされがちだが、本当はとても泥臭いものであったりする。それを詳らかにする覚悟と音楽への覚悟が、シンクロしているように見えた。
休養中何度となく語られた、忘れ去られてしまうことへの恐怖。
コロナ禍にもずっと語っていた、音楽と離れざるを得ない境遇の人たちをつなぎ止めたいという思い。
Twitterスペースや深夜対談で繰り広げられた、自らとは異なる生活を送る人たちとの対話。全部が活かされてこのライブに繋がっているんだと実感した。思い知らされた。
イヤーマフに、託児所に車椅子や親子席。文字の読みやすさ、大きさ。
あのとき語っていたことがかたちになっていた。
圧倒的なセットリスト、圧巻の音響システムSPEAKER+、場内に張り巡らされた緻密な配慮の数々、どこをとっても生き様だった。会場の一体感、熱量の坩堝に飲み込まれては我を忘れ、そして胸に迫っては形容しがたい感情の波に涙する。低音が心を揺らし、光に躍る。懐かしさと新しさ、飽くなき追求と挑戦が渾然一体となったNEWサカナクションの幕開け。
メンバーの感極まった表情、笑顔、それでまた泣いてしまった。大人のくせに、泣き虫だった。
最高にロックでファンクで、ダンサブルでグルーヴィーでポップで、確かに人の歩むかたち。元に戻るのではなく、新たな道。
完全復活とはいうけれど、うつというヤツはとても手ごわい。揺り戻しのつらさを抱えたままの復帰は、わたしのパートナーも経験している。
残念ながら、パートナーは休養と復帰を行き来した後に職を辞した。これくらいならできるはず、復帰したのだから治ったのだろうという周囲からの期待と重圧と、それに応えたい真摯な気持ちがのしかかっていた。
だから、背負いすぎてしまわないか、本ツアー後に燃え尽きてしまわないかというこのお節介な心配が杞憂であってほしい。完全復活と銘打った覚悟が、病を明らかにしながら音楽を続ける決意が、どうか報われますように。メンバーが、チームサカナクションが、魚民があたたかな輪になっていたこの夜が御守りになりますように。
おかえりなさい、サカナクション。でもどうか無理はしないでね。最高のライブを、ありがとう。