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信頼できる、ということ
以前にどこかで書いた話かも知れないけれど、留めておくために書いておこうと思う。
局所麻酔下の手術中、ちょっとしたきっかけというか、話の流れで男性の主治医と話したこと。
主治医が
「女性として、プライベートゾーンの手術はやっぱり女医さんの方がいいんですかね・・・・・・。」
と落ち着いた声で仰った。
プライベートゾーンというのは、つまり下着に隠れる範囲のこと。キャミソール、ではない。もっとプライベートな範囲。この手術もそうだ。
主治医の表情は、少し陰って見えた。
わたしは間を置かず、
「わたしは先生を信頼しているし、腕が良ければ関係ないでーす。」
と言った。重くならないようほんの少しだけ、僅かに茶化し気味に。
主治医は生真面目に続けた。
「僕が手術される側になったとして、僕は医師だけれど、相手が異性だと羞恥心が皆無だとはちょっと言えない。意識の問題は難しいし、信頼してもらえるのは有り難いことと思います。」
そして、
「女性医師がもっと増えたらいいと思う。」
とも。
ああ。わたしは、気持ちを込めて
「だとしても、わたしは先生で良かったと思います。」
と言い切った。
まごうことなき本心だ。
多分、主治医は「女医がいいので」とどなたかに言われた後なのだろうな、と察した。
そう思うこと、それ自体が悪いことだとはまったく思わない。色々な経験を重ねる中で、異性に対してあまり良い感情を持てなくなってしまう人もいる。羞恥心が強い人だっているはずだ。その心の痛みや戸惑いを思う。選ぶ自由はあるとも思う。
主治医の表情にこちらがなぜかちょっと寂しくなる反面、確かに昔はそういうことを考えなくもなかったことを思い出した。
今は違うけれど。
その『今は違う』こそが、よい経験によって形作られたものだ。
これまでに得てきたよい経験。
主治医との会話のスムーズな流れであのように言い切れたのは、診察を通じてしっかり信頼感が持てたからだ。細やかな心遣い、言葉の端々に感じる誠実さ。インプラントをめぐって、元々不確実な「確率」が海の向こうではもっと不透明になりつつあったとき、事態が流動的であることを共に確認し、丁寧に対話してくれたこと。
すべて、主治医の努力や積み重ねがあってのこと。それはわたしの診察に限らないだろう。
主治医以外のかかりつけ医や、その他の医師。関わってくださった数多の医療従事者からもたくさん受け取ってきたものに、主治医の誠実さがまた重ねられる。
信頼を置けること、それは患者として幸せなことだと思う。信頼しているからこそ、日常ならば羞恥を伴うようなことも、医療行為としてそのまま受容できる。
時折、医療現場への信頼を揺るがすようなニュースが流れる。
でも、医療者と非医療者の間に断絶が生まれるのは非常によくない。医療から足が遠のくことで誰かが苦しむならば、悲しい。医療は安心して受けられるものであるべきだ。
では報じずにマスキングすればいいのか?──それは違う。それではただの忖度で、隠蔽で、臭いものに蓋をしただけになる。社会に潜む問題がきちんと正しく報じられるならば、受け取った人がそれぞれ考えて行動し、世の中が少しずつ明るくなる。
これまで異なる立場の隙間を埋めるべく尽力してきた医療者または情報発信従事者の連携と努力、そして何より誠実な大勢の医療従事者の思い。
彼らに対する世の中の眼差しが変わってしまうことを、わたしは嫌だと思う。
少数の悪しき人間が全体を毀損するのは、悲しいこと。どうか十把一絡げにはしないで欲しい。
その人とあの人は、イコールじゃない。
だから、目の前をしっかり見る。
I trust them,sincerely.
わたしは彼らを深く信頼する。
異なる立場や属性が複雑に交わるこの社会において、偏見を捨てるのはきっとどちらの側にも必要なこと。そのために積み重ねられてきたものにこそ目を向けてほしい。見てきたもの、話してきた相手を見てほしい。
きちんと真面目に、職業倫理に沿って従事してきたのにもかかわらず、ごく少数の悪行により性別を理由として職務から外される人が増えたらと思うと、ただのいち患者だけれど、とても気が重い。
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